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Channel: ヒットしなかったけれど、ちょっといい曲
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Sandy Selsie“Gonna Get Some Records”1962

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Sandy Selsie.png表題曲“Gonna Get Some Records, 1962(想い出のレコード)”は、まったくヒットしなかったけれど、オールディーズ・ファンやマニアの間ではけっこう知られている曲らしい。それは、1990年代半ばに日本のエーサイド(A-Side Records)で発売されたCD盤“GONNA GET SOME RECORDS - GIRLS COLLECTION VOL.4 (AZ-5016)”に収録され、オールディーズ・ファンの間では少々話題となったからだろう。

そこで、日本のオールディーズ・ファンやマニアの動向を年代的に少し考えてみたい。
もともとオールディーズの対象となる曲は、まず「日本で大ヒットしたこと」や、自分にとって「懐かしいこと」が前提であった。つまり、ほとんどのファンは当時のヒットパレードを聴いていた人達で、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)をはじめ、ポール・アンカ(Paul Anka)、ニール・セダカ(Neil Sedaka)、コニー・フランシス(Connie Francis)らに代表されるヒットパレード常連組の曲を、私に言わせれば何度も何度もしつこく聴かされた耳タコ曲群を、聴いていたのである。
ところが1975年頃になると、オールディーズはちょっとした変革期を迎えることになる。それは映画「アメリカン・グラフィティ“American Graffiti”」(1973年)の影響で、日本でヒットしたかどうかにかかわらず、本場アメリカでヒットした曲がもてはやされ、日本ではあまりお馴染みではない曲が聴かれるようになった。その頃になるとオールディーズ愛好家は必ずしもリアルタイムのリスナーではなく、オールディーズを新しい音楽のひとつとして捉えるファンやマニアが出現してきた。そして、ロックンロール(Rock'n Roll)とかドゥーワップ(Doo Wop)とかの言葉が一般に広まり、海外の編集・再発LPレコードが日本の音楽市場にどっと入ってきた。
次は、1990年代半ば頃のこと、音楽媒体はすでにCDの時代になっていた。すでに書いたようにエーサイドやM&Mレコードなどのオールディーズのレア曲を配信する日本のCD会社が出現した。この現象は海外の方が盛んで、イギリスやドイツなどから盛んにレア曲を収録したCD盤が発売された。イギリスのACE RecordsやドイツのBear Family Records、アメリカのCollectables Recordsなどは有名だ。また、マニアの間では以前からレアな中古シングル盤の取引やオークションは行われきたが、ネット普及の影響によりますます盛んになってきたようだ。
以上のように、オールディーズ・ファン、マニアは、「日本におけるヒットパレード曲」→「アメリカでヒットした曲」→「レア曲」へと、少しずつ興味の変化を示すようになってきた。

Sandy Selsie 2.pngさて、話をサンディ・セルシーの「想い出のレコード」に戻そう。
この曲はオールディーズとしてよく出来た曲だ。と言うのは、ストリングスを多用したり、哀愁ぽいメロディを散りばめたり、エンディングで“Oh Yeh”や“Ah Hah”などの合いの手を効果的に挿入したりと、オールディーズのツボを押えたニクい曲作りに徹している。そういう意味で完成度の高い曲なのかもしれない。

ところで、サンディ・セルシーについてちょっと触れておこう。
彼女はカナダ出身のカントリー/ポップス歌手で、1946年にトロント郊外のリッチモンド・ヒル(Toronto suburb of Richmond Hill,Ontario)で生まれた。高校生のとき家族旅行で米国・ナッシュビル(Nashville)を訪れ、コロンビア・レコード(Columbia Records)のオーディションを受け、5年間の契約を取り付けた。
1962年、彼女は15歳で“The Poorest Girl In Town / A Date With Loneliness”でデビュー、さらに地元のいくつかのラジオやテレビのショー番組に出演した。この“A Date With Loneliness(一人ぼっちのデイト)”はカナダでこそヒットしたが、全米チャートには進出することはなかった。
続く“Gonna Get Some Records / Walk With Me My Angel(2人で一緒に)”もヒットせず、日本でも発売されたが、ヒットすることはなかった。さらにもう一枚リリースしたものの、彼女の消息はその後わからず、曲をリリースしていないので引退したのだろうと思われる。

ディスコグラフィー
The Poorest Girl In Town / A Date With Loneliness(Columbia 4-42418)27 Apr 1962
Gonna Get Some Records / Walk With Me My Angel(Columbia 4-42594)28 Sep 1962
Come On In / Don't Destroy Me(Columbia 4-42766)5 Apr 1963
When Jimmy Comes Home / Little Miss With It(Columbia 4-42883)8 Oct 1963

Gonna Get Some Records, 1962


The Poorest Girl In Town, 1962


A Date With Loneliness, 1962


When Jimmy Comes Home, 1963


Jan Burnette“The Boy I Used To Know”1963

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Jan Burnette 1.pngこの曲“The Boy I Used To Know, 1963”を初めて聴いたとき、ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)が歌っているのかと思ったほどだ。声もけっこう似ていたし、何よりも曲調がヘレン・シャピロ風で、いかにも当時の日本のポップファンにウケそうな曲だった。それもそのはずで、調べてみると、シャピロの大ヒット曲、たとえば“Walkin' Back to Happiness, 1961(夢見る恋)”“Don't Treat Me Like a Child, 1961(子供じゃないの)”“You Don't Know, 1961(悲しき片想い)”などの作品をもつ作曲家兼プロデュサー・ジョン・シュローダー(John Schroeder)の曲だったのだ。

さて、この曲を歌ったジャン・バーネット(Jan Burnette)について触れておきたいのだが、イギリスの歌手という以外に、彼女に関するデータは、ディスコグラフィーやシングル盤販売情報以外は見つけることができなかった。おそらく日本では、彼女のレコードは発売されなかったようだ。少なくともネットで調べた限りその手がかりは発見できなかった。
ただ現在、彼女は結婚式やパーティーの司会業をやっているようで、そのホームページらしきサイトを見つけたので引用しておきたい(http://www.janburnette.com/relocate.asp?page=talk60.htm)。

ジャン・バーネットのディスコグラフィー
Teddy(Bron Associated Publishers Ltd GER 5063)1962
Does My Heartache Show / All At Once(Oriole CB 1742)Jun 1962
The Boy I Used To Know / Unimportant Things(Oriole CB 1807)Mar 1963
Fool In Love / 'Til I Hear The Truth From You(Oriole CB 1841)Jun 1963
Let Me Make You Smile Again / No Regrets(Oriole CB 1905)Jan 1964
Too Young / The Four Winds And The Seven Seas(Oriole CB 1920)Mar 1964
Love, Let Me Not Hunger / The One I Love (Belongs To Somebody Else)(Oriole CB 1949)Sep 1964

The Boy I Used To Know, 1963


Fool In Love, 1963

弘田三枝子“おでこにキッス”1963

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弘田三枝子 3.jpg前回記事で、ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)にちょっと触れたが、そこで思いついたのがヘレンシャピロのカヴァー曲を歌ってヒットさせたミコちゃんこと弘田三枝子で、今回は彼女の曲を採り上げることにした。なかなかパンチの利いた声で、歌唱力もあり、カヴァー・ポップスからジャズを志したが、1969年に「人形の家」で歌謡曲に転向した歌手である。
彼女は、ヘレン・シャピロ以外にも、コニー・フランシス(Connie Francis)やニール・セダカ(Nei Sedaka)らのアメリカン・ポップス定番歌手や、ミーナ(Mina)、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)、フランス・ギャル(France Gall)らの欧州系ポップ歌手もカヴァーし、ヒットさせた。また、カヴァー曲ばかりでなく多くのオリジナル曲も歌い、さらにテレビや映画の主題歌、CM曲など、一時期は売れっ子歌手として活躍した。

今回は、カヴァー曲ではなく、オリジナル曲からシングルカットされなかった、LP盤にのみ収録された「おでこにキッス」を選んでみた。
この曲にはちょっと注釈が必要だ。と言うのは、LP盤(東芝 JPO-1285, 1963.04)やCD盤「ミコちゃんのヒット・キット・パレード」(東芝 TOCT-6901-02)のライナーノーツには、この曲のオリジナル曲が“Cry Heart Out”で、「永六輔作詩・N.Parmor-N.Newell作曲・中村八大編曲」と掲載されている。
ちょっと疑問に思ったので調べてみると、“Cry My Heat Out(涙がいっぱい)”という別の曲で、たしかにN.Parmor-N.Newellが作曲しており、ヘレン・シャピロが歌い、弘田三枝子もカヴァーしている。つまり、「おでこにキッス」とは別の曲のデータが印刷されているようだ。
ところで、この「おでこにキッス」は、私が中学生の頃よく観ていたイギリスのテレビドラマ「アイバンホー」(土曜日の夜7時半から放映されていたと思うが…)でスポンサーの不二家が「ルックチョコレート」のCMで流していた曲と同一で、たしか、画像いっぱいにスリー・ファンキーズの面々が歌って踊って、といったような気がする。
この曲を、はじめはCM曲として知り、後で「おでこにキッス」と知ったわけだが、実際にはこの曲がCM曲として作られたのか、オリジナル・ポップス曲として作曲されたのかわからない。ただ、このCM曲が「永六輔作詩・中村八大作曲」とクレジットされており、「おでこにキッス」も永六輔と中村八大のコンビだろうと考えている。
この「おでこにキッス」は、当時、歌謡曲ではなくアメリカン・ポップスとして日本人が作曲し、日本人が日本語で歌った曲としていささかの価値があると思うのだが、いかがなものだろうか?

弘田三枝子 3.pngさて、話を少し拡げてみると、ヘレン・シャピロが歌い、弘田三枝子がカヴァーした“Cry My Heat Out, 1962(涙がいっぱい)”は、ビートルズ(The Beatles)が登場してくる直前のイギリス・ポップ・シーンを描いたミュージカル映画「Play It Cool」(1962)で歌われたものだ。当時人気のあったビリー・フューリー(Billy Fury)、ボビー・ヴィー(Bobby Vee)ダニー・ウイリアムズ(Danny Williams)らとともに、ヘレン・シャピロもこの映画の中で2曲披露した。もう1曲は“I Don't Care, 1962(振られちゃったの)”である。「振られちゃったの」はヘレン・シャピロの曲としてヒットしたが、弘田三枝子はこの曲をカヴァーしていない。かなりヒット性のある曲と思われるが、他の日本人歌手は歌っていないし、ちょっと謎だ。
なお、このミュージカル映画「Play It Cool」の音楽担当はN.Parmor-N.Newellであり、「振られちゃったの」もこのコンビが作詞・作曲した。
表題曲の「おでこにキッス」とは直接関係ないけれど、この「振られちゃったの」は私の好きな曲でもあるのでYouTubeからアップした。

なお、弘田三枝子のディスコグラフィー(シングル盤のみ)を掲載したが、バイオグラフィーについては日本語のWikipediaがあるのでそちらを参照していただきたい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%9E%9D%E5%AD%90

弘田三枝子のディスコグラフィー
・1961年のデビュー曲から1969年末までのシングル盤を掲載
・(17・25・30cm)LP盤、ソノシート、ピクチャーレコードなど除く

子供ぢゃないの/悲しき片想い(東芝 JP-5089)1961.11
すてきな16才/夢のスウィート・ホーム(東芝 JP-5100)1962.02
カモン・ダンス/恋のエアメイル(東芝 JP-5108)1962.04
寝不足なの/ブルージン・ブルース(東芝 JP-5125)1962.06
かっこいいツイスト/一度だけのあやまち(東芝 JP-5119)1962.07
かっこいい彼氏/シェーナ・シェーナ(東芝 JP-5148)1962.09
リトル・ミス・ロンリー/ヴァケーション(東芝 JP-5161)1962.10
ミコのジングルベル/ブルー・クリスマス(東芝 JP-5160)1962.11
ゆるしてゆるして/涙がいっぱい(東芝 JP-5184)1963.03
想い出の冬休み/マック・ザ・ナイフ(東芝 JP-5199)1963.03
明日をみつめて/そっと一人に(東芝 JP-1548)1963.03
渚のデイト/星影で愛して(東芝 JP-5216)1963.05
悲しきハート/月影のレナート(東芝 JP-5236)1963.07
涙のゴスペル/悲しみがいっぱい(東芝 JP-5248)1963.09
私のベイビー/ティーンエイジ・クレオパトラ(東芝 JP-5264)1963.12
ダンケシェーン/涙のためいき(東芝 TR-1050)1964.03
若い街角/気ンなるあいつ(東芝 TR-1071)1964.05
恋と涙の17才/いつでもあなたを(東芝 TR-1080)1964.05
ひとつぶの真珠/きっとね(東芝 TR-1110)1964.08
恋のレッスン/涙の二十四時間(東芝 TP-1004)1964.10
はじめての恋人/砂に消えた涙 (コロムビア SAS-432)1964.12
ナポリは恋人/レッツ・ゴー・ベイビー(コロムビア SAS-434)1965.02
いそしぎ/サマータイム(HINO & MIKO)(コロムビア SAS-10043)1965.04
可愛いマリア/君に涙とほほえみを(コロムビア JPS-1)1965.04
太陽の海/夕陽のなぎさ(コロムビア JPS-7)1965.06
夜の太陽/夢見るシャンソン人形(コロムビア JPS-11)1965.08
恋のクンビア/愛の言葉を(コロムビア JPS-12)1965.08
道/ほほえみを忘れないで(コロムビア JPS-21)1965.09
ホワイト・クリスマス/ジングル・ベル(コロムビア JPS-22)1965.10
スーベニールス/そよ風にのって(コロムビア JPS-30)1966.02
愛のゴー・ゴー/砂の上のひめごと(コロムビア JPS-38)1966.03
瞳の中の私/悲しみは空の彼方に(コロムビア JPS-42)1966.05
恋はノン・ストップ/帰ってね、きっと(コロムビア SAS-781)1966.10
世界の国からこんにちは/若さが燃えている(コロムビア SAS-869)1967.03
黒いブーツと皮ジャンパー/帰らぬ少年兵(コロムビア SAS-879)1967.04
南国の愛の星/どうすりゃいいの(コロムビア SAS-907)1967.06
渚のうわさ/風とオトコのコ(コロムビア P-1)1967.07
枯葉のうわさ/悲しみの足音(コロムビア P-3)1967.11
涙のドライブ/さざ波のバラード(コロムビア P-10)1968.03
渚の天使/恋のエンジェルベイビー(コロムビア P-24)1968.07
可愛い嘘/砂に埋めた手紙(コロムビア P-37)1968.09
虹に瞳を/グロッカ・モーラの様子はいかが(コロムビア P-46)1968.12
人形の家/あなたがいなくても(コロムビア P-65)1969.06
私が死んだら/鏡の中の天使(コロムビア P-79)1969.12

弘田三枝子“おでこにキッス”1963


弘田三枝子“ルックチョコレートの歌”1963


Helen Shapiro“I Don't Care(振られちゃったの)”1962

Little Eva“Makin' With The Magilla”1964

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Little Eva 2.png前回は、懐かしのテレビCMから弘田三枝子の曲を選んだが、今回は「テレビつながり」で、テレビアニメからリトル・エヴァ(Little Eva)の曲を採り上げてみた。
そのリトル・エヴァの曲とは、アメリカのテレビアニメ「ゴリラのゴンちゃん(The Magilla Gorilla Show)」(TBSで1966年に放映)の主題歌で、当時のアニメにしたらなかなか粋な曲で、いつも番組の終了間際に聴くことができた。誰が歌っているのか、おそらくは無名のサーフ・ガールグループが歌っているものと思っていたが、YouTubeで調べたらなんとリトル・エヴァだったので意外な感じがした。けっして優れた曲ではないけれど、あの当時誰が歌っているのか思い巡らせていたことを思い出し、ちょっぴり懐かしくなって採り上げた。

いま、世界で宮崎駿のジブリ(Studio Ghibli)や日本アニメが脚光を浴び、空前のアニメ・ブームが起こっているらしい。宮崎アニメは、しばしばウォルト・ディズニー(Walt Disney)と比較され、アメリカ・アニメを凌駕したかのように言われているが、実際のところ、アメリカのアニメ産業は伝統があり、長い歴史もあり、つい最近までアメリカ原産アニメが世界を圧倒していたのである。ただしアメリカ・アニメは、長編のディズニー・アニメを除くとドタバタ活劇が主流で、日本のアニメのようなストーリー性があり大人も楽しめるといったものではなく、あくまでも子供向けであった。また、アメリカ・アニメは、どちらかと言うと「アニメーション」という表記よりも「マンガ映画」とか「テレビマンガ」とかの方がしっくりくる。ただし、この記事では便宜的にアニメで統一しておいた。

さて、思いつくところで、わたしの子ども時代の懐かしのアメリカ・テレビアニメをいくつか挙げてみたい。

ポパイ(Popeye, 1929): エルジー・クリスラー・シーガー (Elzie Crisler Segar)により創出。日本ではTBS系で1959~65年に放映。アメリカ・アニメでは最高の視聴率を誇った。

ウッド・ペッカー(Woody Woodpecker, 1940): ユニバーサル映画(Universal Pictures)供給で、日本テレビ系で1961~64年に放映された。あの奇声を発するキツツキが懐かしい。

トムとジェリー(Tom and Jerry, 1940): こちらもユニバーサル映画供給で、TBS系で1964~66年に放映。独立前のウィリアム・ハンナ (William Hanna) とジョセフ・バーベラ (Joseph Barbera)が創出した。まさにネコとネズミの追っかけっこ・ドタバタ活劇であった。

ヘッケルとジャッケル(Heckel and Jeckle, 1946): 20世紀フォックス(20th Century Fox)供給で、日本ではフジテレビ系で1957~58年と1963~64年に放映された。あの2匹のカラス(カササギ)がヌケヌケと悪戯をやらかすのがなんとも痛快で、たまらなく面白かったことを憶えている。

近眼のマグー(Quincy Magooまたは Mr. Magoo, 1949):ユナイテッド・プロダクションズ(UPA)が制作。「がんばれマグー」としてNET(テレビ朝日)系で1963年に放映された。間違いが間違いを生むユーモアが面白かったような…。

ナッティ・ドリームランド(The Nutty Squirrels, 1959): ドン・エリオット(Don Elliott)とアレックス・バーランド(Alexander "Sascha" Burland)によって創出。NET(テレビ朝日)系で1964年に放映。サックスのキャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)やフルートのボビー・ジャスパー(Bobby Jaspar)、クラリネットのサム・モスト(Sam Most)らが演奏するジャズ・スキャットが素晴らしく、アニメのとぼけた味が面白かった。

ウォルト・ディズニーのミッキーマウス(Mickey Mouse)やドナルドダック(Donald Duck)などのアニメも懐かしいが、省略して、以下ウィリアム・ハンナ(William Hanna)とジョセフ・バーベラ(Joseph Barbera)が共同設立したハンナ・バーベラ(Hanna-Barbera Productions)のアニメを掲げておいた(日本でのテレビ放映については省略)。
ハンナ・バーベラ制作のアニメは、1966年以降にもテレビに多く登場したが、ここではあくまでもわたし自身が子ども時代に観たもので、印象に残っているものに限らせていただいた。

懐かしいハンナ・バーベラ・アニメ(1958-65)
1958年
珍犬ハックル(Huckleberry Hound)
クマゴロー(The Yogi Bear Show)
1959年
早射ちマック(Quickdraw McGraw)
1960年
原始家族フリントストーン(強妻天国、ソーラ来た来た)(The Flintstones)
1962年
宇宙家族ジェットソン(The Jetsons)
1964年
ゴリラのゴンちゃん(The Magilla Gorilla Show)
1965年
少年シンドバッド(シンドバッドの冒険)(The Sailor Sinbad Jr.)

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Little Eva 5.pngさて、リトル・エヴァと言えば「ロコモーション(The Loco-Motion, 1962)」、ロコモーションと言えばリトル・エヴァといわれるくらいポップ音楽の世界では有名だが、そのリトル・エヴァについて少し触れておこう。

彼女は、本名をEva Narcissus Boydといい、1943年6月29日ノース・カロライナ州ベルへヴン(Belhaven, North Carolina)で生まれ、ニューヨークのブルックリン(Brooklyn, New York)に移り住んだ。リトル・エヴァという名前は、ストウ夫人(Harriet Beecher Stowe)の有名な小説「アンクル・トムの小屋」(Uncle Tom's Cabin, 1852)に因んでいる。
16歳のリトル・エヴァは、ソング・ライターのキャロル・キング(Carole King)とゲーリー・ゴーフィン(Gerry Goffin)夫妻のベビーシッターに雇われた。歌が大好きだった彼女のために、キング‐ゴーフィンのコンビは「ロコモーション」を作り、彼女をデビューさせた。
ところが、後年キャロル・キングがインタビューで語ったところによると、この曲はディー・ディー・シャープ(Dee Dee Sharp)に歌わせる予定だったらしい。この曲のデモ録音をリトル・エヴァに吹き込ませたのだが、リトル・エヴァの歌の才能を見抜いたキングはそのまま彼女を登用したということであったらしい。
1962年当時のアメリカン・ポップスは、さまざまのダンス音楽が大流行していた。たとえば、ツイストやジャーク、マッシュポテトなど。この「ロコモーション」も蒸気機関車を模したダンス音楽でヒットを狙い、大当たりした。
それはともかく、この曲は全米1位(R&B部門も1位)に輝き、リトル・エヴァは一夜にしてスターの座を手に入れた。1962年夏のことだった。
その後、彼女はディメンション(Dimension Records)で"Keep Your Hands Off My Baby, 1962"(全米12位、R&B部門6位)、"Let's Turkey Trot, 1963"(全米20位、R&B部門16位)などのヒットを放った。また、彼女の姉、Idalia Boydも“Some Kind Of Wonderful, 1963”をディメンションに録音し、そのバックコーラスをクッキーズ(The Cookies)とともにエヴァも歌った。その他、The Pastelsのリードヴォーカル、Big Dee Irwinとのデュエットや、さまざまのバック・ヴォーカルなど、1970年代初めまで音楽活動を行ったようである。
彼女は、2003年4月10日、癌のため死去、享年59だった。

リトル・エヴァのディスコグラフィー(1962-67)
シングル盤
The Loco-Motion / He Is The Boy(Dimension USA 1000)Jun 1962
Keep Your Hands Off My Baby / Where Do I Go?(Dimension USA 1003)Oct 1962
Let's Turkey Trot / Down Home(Dimension USA 1006)Jan 1963
Old Smoky Locomotion / Just A Little Girl(Dimension USA 1011)May 1963
What I Gotta Do(To Make You Jealous) / The Trouble With Boys(Dimension USA 1013)Jul 1963
Let's Start The Party Again / Please Hurt Me(Dimension USA D-1019)Nov 1963 with Big Dee Irwin
I Wish You A Merry Christmas / The Christmas Song(Dimension USA D-1021)Nov 1963
Makin' With The Magilla / Run To Her(Dimension USA D-1035)Oct 1964
Wake Up John / Takin' Back What I Said(Dimension USA D-1042)Feb 1965
Stand By Me / That's My Man(Amy USA 943)Nov 1965
Bend It / Just One Word Ain't Enough(Verve USA VK-10459)Nov 1966
Take A Step In My Direction / Everything Is Beautiful About You Boy(Verve USA VK 10529)Jul 1967

LP盤
Llllloco-Motion(Dimension Dlp-4001)1962 (First Pressing)
The Loco- Motion / Some Kind-A Wonderful / I Have A Love / Down Home / Breaking Up Is Hard To Do / Run To Her / Uptown / Where Do I Go / Up On The Roof / Sharing You / He Is The Boy / Will You Love Me Tomorrow

Llllloco-Motion(Dimension Dlp-4001)1962
The Loco- Motion / Some Kind-A Wonderful / I Have A Love / Down Home / Breaking Up Is Hard To Do / Run To Her / Keep Your Hands Off My Baby / Uptown / Where Do I Go / Up On The Roof / Sharing You / He Is The Boy / Will You Love Me Tomorrow

Little Eva“Makin' With the Magilla”1964


Little Eva“Keep Your Hands Off My Baby”1962


Little Eva“The Loco-Motion”1962


ここからはリトル・エヴァに関連した曲をアップしておく。
Idalia Boyd“Some Kind Of Wonderful”1963”
リトル・エヴァ自身も歌っているが、ここでは姉のIdalia Boydの歌をアップした。クッキーズとリトル・エヴァがバック・ヴォーカルを担当している。この曲は、キング‐ゴーフィンのコンビが作り、1961年にドリフターズ(The Drifters)が歌ってヒットさせた。


The Locomotions(aka The Lost Souls)“Little Eva”1962
この曲は「ロコモーション」のアンサーソングと言うか、曲名からもわかるように、少々茶化した曲かも。しかし、ノヴェルティ・ソングなどではなく正統なホワイト・ドゥーワップ曲で、悪くない出来だ。


Little Eva & Her Band(aka Raynoma Liles)“When I Needed You ”1961
この記事のテーマとはまったく関係ない曲。たまたま歌っていたのが“Little Eva”と称しているだけ。YouTubeを観ていたら偶然発見。けっして上手い歌手ではなく、どちらかと言うと素朴な歌い方だが、けっこういい曲で、この機会を逃してしまったら埋もれてしまうので、あえてアップしてみた。モータウン(Motown Records)の創業者、Berry Gordyの二番目の奥さんとのこと。

Lillian Briggs“Follow The Leader”1956

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Lillian Briggs 1.jpg今回は女性ロックンローラー。と言ってもワンダ・ジャクソン(Wanda Jackson)やジャニス・マーティン(Janis Martin)とはちょっと違う。どちらかと言えばジャンプ・ブルース(Jump Blues)やジャイヴ(Jive)などに近い曲を歌ったリリアン・ブリッグス(Lillian Briggs)を採りあげてみた。ロカビリー(Rockabilly)が白人系なのに対し、リリアン・ブリッグスの音楽は黒人系だ。しかし、この違いもデビュー当時(1955年頃)のことであって、60年代に近づくとロックンロール(Rock'n'Roll)として扱われた。ロックンロールという音楽が白人と黒人の音楽を融合した新しいジャンルだからである。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)が"The King of Rock & Roll"と言われたのに対し、若干違和感を感ずるけれども、リリアンは、"The Queen of Rock & Roll"と称された。もっともジャニス・マーティンも"女エルヴィス(The Female Elvis)"と呼ばれたりした。カテゴリーの選択にはちょっと迷ったが、[R&B;Jump Blues] ではなく [Rock'n'Roll:Rockabilly] にした。リリアン・ブリッグスが白人という理由もある。

Lillian Briggs 2.png例によって略歴を記しておく。
リリアン・ブリッグス(Lillian Briggs)は本名をLillian Biggsといい、1932年6月3日にペンシルベニア州アレンタウン(Allentown)で生まれた。彼女はトラック運転手として生計を立てながら、かたわらでは、Joy Cayler's All-Girl Orchestraで歌手兼トロンボーン奏者として音楽活動をしていた。1952年、20歳の頃、彼女はステージ・ショーで歌い、トロンボーンを吹くパフォーマンスを披露、かの有名なディスクジョッキー、アラン・フリード(Alan Freed)に見い出された。1954年、ニューヨークのCaylor's Orchestraに移り、Jack Petrillにスカウトされ、エピック(Epic Records)でデビュー・シングルを吹き込むことになった(1955年)。デビュー曲は“I Want You to Be My Baby”というジャンプ・ブルース曲で、サックス奏者ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)が1953年に発表した曲。同じ頃白人女性歌手のジョージア・ギブス(Georgia Gibbs)もカヴァーした(全米14位)。この曲は全米チャート18位でミリオン・セラーを記録し、彼女の最大のヒット曲となった。また、ジーン・クルーパ(Gene Krupa)の“Boogie Blues, 1957”もカヴァーした。その後、Sunbeam Records、続いてCoral Recordsに移籍し、ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)の“Hey! Ba-Ba-Re-Bop, 1958”や、エームス・ブラザーズ(The Ames Brothers)で大ヒットした“Rag Mop, 1959”なども歌った。彼女は、テレビのショー番組やステージ・ショーに出演した。たとえば、Jack Paar's The Tonight Show、The Mike Douglas Show、American Bandstand、The Steve Allen Showなどなど。また、ジェリー・ルイス(Jerry Lewis)の映画“The Ladies Man”(1961)や、いくつかの映画に出演、また音楽活動も行った。彼女は、1998年4月11日、肺がんで亡くなった。享年65だった。

Lillian Briggsのディスコグラフィー(シングル盤)

I Want You To Be My Baby / Don't Stay Away Too Long(Epic 5-9115)Aug 1955
Give Me A Band And My Baby / It Could've Been Me(Epic 5-9120)Sep 1955
Rock'n'Roll-y Poly Santa Claus / Can't Stop(Epic 5-9138)1955
Follow The Leader / That's The Only Way To Live(Epic 5-9141)1956
Eddie, My Love / The Teen In Jeans From New Orleans(Epic 5-9151)Feb 1955
The Gypsy Goofed / Too Close For Comfort(Epic 5-9151)1956
I'll Be Gone / Mean Words (Epic 5-9190)Oct 1956
Sugar Blues / Boogie Blues(Epic 5-9214)1957
I / She Sells Seashells(Epic 5-9249)Nov 1957
Come Here / Will We Meet Again(Sunbeam 104)Jun 1958
Hey! Ba-Ba-Re-Bop / I've Got Your Heart(Sunbeam 114)1958
Rag Mop / Smile For The People(Coral 9-62108)1959 Promo only
Blues In The Night / Is There A Man In The House(Coral 9-62136)Aug 1959
Hooray For The Rock / Diddy Boppers(Coral 9-62156)1959
Be Mine / Not A Soul(Coral 9-62193)1960
I Care For You / That's What It's Like To Be Lonesome(Coral 9-62223)1960
I Want You To Be My Baby / I'm Burning For You(ABC-Paramount 45-10253)Sep 1961

Follow The Leader, 1956


Hey, Ba Ba Re Bop, 1958


Be Mine, 1960


I Want You To Be My Baby, 1955

Diane Renay“Man Of Mystery”1964

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Diane renay 6.jpgダイアン・リネイ(Diane Renay)の「ネイビー・ブルー~悲しき水兵さん(Navy Blue, 1964)」は、ビートルズ(The Beatles)が日本に上陸したころ大ヒットしたポップスで、実にしつこく聴いた曲だった。その「ネイビー・ブルー」が収録されている唯一のアルバム“Navy Blue(20TH CENTURY FOX GXC 72)1977”を入手したのは1970年代後半のこと。1964年当時の盤と同じジャケット・曲目の復刻盤だった。このアルバムは、私にとってとても懐かしく、また名盤であったと思う。
この盤が名盤だったのは、大ヒットした「ネイビー・ブルー」や「キス・ミー・セイラー(Kiss Me Sailor, 1964)」以外の収録曲の出来がよく、全12曲中9曲がオールディーズ曲として素晴らしかったからで、友人とのドライブで夜更けの国道134号を疾走しながらよく聴いたものだ。
ひとつ思い出話を―。
国道134号(湘南遊歩道路)と言えば、大磯や小田原に遊びに出かけるためによく利用した。その頃、休日になると仲間とよくテニスに興じ、小田原のテニスコートで友人の知り合いの姉妹と一緒にテニスをした。私は妹の方を好きになって、そして振られたことがあった。そんな懐かしい思い出が、このダイアン・リネイの一連の曲から懐かしく蘇ってくるのである。

このアルバムを紹介しておく。
“Navy Blue(20th Century Fox TFS 4133)1964”
A1 Kiss Me Sailor(Bud Rehak, Eddie Rambeau)2:25
A2 Soft-Spoken Guy(Bob Crewe, Bud Rehak, Eddie Rambeau)2:35
A3 Please Forget Me(Bob Crewe, Daniel Lanning)2:59
A4 Hello Heartaches(Bob Crewe, Sid Bass)2:47
A5 Man Of Mystery(Bob Crewe, Charles Calello)2:21
A6 Navy Blue(Bob Crewe, Bud Rehak, Eddie Rambeau)2:29

B1 Bell Bottom Trousers(Moe Jaffe)2:46
B2 Soldier Boy(Florence Green, Luther Dixon)2:40
B3 A Present From Eddie(Bob Crewe, Bud Rehak, Eddie Rambeau)2:44
B4 Sooner Or Later(Bob Crewe, Hedy Sontag, Roberta Goldstein)2:21
B5 He Promised Me Forever More(Bob Crewe, Sandy Linzer)2:40
B6 Unbelievable Guy(Bob Crewe, Larry Santos)2:35

“Sooner Or Later”は、ヒットするような曲ではなかったけれど、シングル盤のB面によくあるようなチープな作りで、それがマニアックないい雰囲気の曲となっている。
“Man Of Mystery”という曲は、マラカスの小気味よいリズムに乗った演奏が軽快であり、素敵な曲だ。上述の曲とこの曲どちらを表題曲にしようか迷ったけれど、こっちを選んでみた。
“Soft-Spoken Guy”は、おセンチな曲で何とも懐かしく、このアルバムからシングル・カットされ、「キス・ミ・セイラー」のB面に「彼はソフト・タッチ」として収録された。

Diane Renay 4.pngさて、簡単な評伝らしき記事を。
ダイアン・リネイは本名をRenee Diane Kushnerといい、1945年6月13日、ペンシルベニア州南フィラデルフィア( South Philadelphia, Pennsylvania)で生まれた。
幼少の頃から女優を目指し、歌や踊り、演技などのレッスンを受け、14歳のときには自らの歌をデモ・テープに吹き込みレコード会社に売り込み、また美人コンテストに出場して優勝したり、そんな少女時代を過ごしたようである。
そして1962年、17歳のとき、プロデューサー兼シンガー・ソングライターのピート・デ・アンジェリス(Pete De Angelis)に認められ、黒人音楽の名門・アトランティック(Atlantic Records)の傘下にあるアトコ(Atco Records)と契約、デビュー・シングル“Little White Lies, 1962”をリリースしたが不発に終わった。
2枚目のシングルは、フォーシーズンズ(The Four Seasons)のプロデューサーで有名なボブ・クリュー(Bob Crewe)が担当し、“Tender, 1963”を発表するもヒットしなかった。
20世紀フォックス(20th Century Fox Records)に移籍。引き続きボブ・クリューがプロデュースすることになり、ボブ・クリュー、エディ・ランボー(Eddie Rambeau)、バド・レハーク(Bud Rehak)の共作で“Navy Blue”を発表、全米ポップ・チャート6位の大ヒットとなった。このときダイアンは18歳であった。この曲は世界的な大ヒットとなり、日本では伊東ゆかり、伊藤アイコ、九重祐三子とパラダイスキングらがカヴァーし、ヒットパレードを賑わせた。
続いて“Kiss Me Sailor”をリリース、この曲も全米ポップチャート29位のヒットとなった。その後、いくつかのレーベルを転々として“おませな水兵さん(Growin' Up Too Fast, 1964) ”、“涙のサリー(Watch Out, Sally, 1964”、“ビリー・ブルー・アイズ(Billy Blue Eyes, 1964)”などをリリース、しかし「ネイビー・ブルー」のような大ヒットには恵まれず、1970年頃音楽活動を終えたようだ。
なお、2001年に“Diane Renay Sings Some Things Old and Some Things New”を発表した。この2枚組CDで彼女の歌、新旧35曲を聴くことができる。特筆すべきは、彼女が14歳のとき制作したデモ・テスト・テープの中の1曲、“Zing Went the Strings of My Heart, 1960”(この曲はコースターズ(The Coasters)など歌っている)が聴けることだろう。

ダイアン・リネイのディスコグラフィー(シングル盤)
Little White Lies / Falling Star(Atco 45-6240)Oct 1962
A Dime A Dozen / Tender(Atco 45-6262)Apr 1963
Navy Blue / Unbelievable Guy(20th Century Fox 456)Dec 1963
(ネイビー・ブルー~悲しき水兵さん/彼はスーパー・ボーイ)
Kiss Me Sailor / Soft-Spoken Guy(20th Century Fox 477)Mar 1964
(キス・ミ・セイラー/彼はソフト・タッチ)
Growin' Up Too Fast / Waitin' For Joey(20th Century Fox 514)Jun 1964
(おませな水兵さん/ジョイを待ちわび)
It's In Your Arms / A Present From Eddie(20th Century Fox 533)Jul 1964
Watch Out, Sally! / Billy Blue Eyes(MGM K13296)Nov 1964
(涙のサリー/ビリー・ブルー・アイズ)
Troublemaker / I Had A Dream(MGM K13335)Apr 1965
The Company You Keep / Words(New Voice 800)Jun 1965
Happy Birthday Broken Heart / Cross My Heart, Hope To Die(New Voice 803)Oct 1965
Soldier Boy / Words(New Voice 813)Jun 1966
Dynamite / Please Gypsy(United Artists 50048)Jul 1966
Navy Blue / Unbelievable Guy(20th Century Fox 45-6456)Aug 1966
Can't Help Loving That Man / It's A Good Day For A Parade(D-Man 101)1968
Hold Me, Thrill Me, Kiss Me / Yesterday(Fontana F-1679)Oct 1969
Navy Blue / Kiss Me Sailor(Eric 175)1970
Together Again / Maybe(Rex DR-292)1981
Navy Blue [Long Version] / Navy Blue [Short Version](Dice TGR 8018)1987

Man Of Mystery. 1964


Sooner Or Later, 1964


Soft-Spoken Guy. 1964


Kiss Me Sailor, 1964


Navy Blue. 1964

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Buzz Clifford“I'll Never Forget”1961

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(お詫び:長らくご無沙汰してしまいすみません。じつはドゥーワップ(Doo Wop)特集を企画しましたが、記事を書いているうち不明点が続々と出てきて、そのあまりの多さにちょっと嫌気が差し、放置しておいたらアッという間に4ヶ月以上経ってしまったという次第です。そこで、急遽テーマを変更、ブログ掲載予定リストからバズ・クリフォードを選び、先に記事にすることにしました)

Buzz Clifford 1.jpgバズ・クリフォード(Buzz Clifford)といえば、「赤ちゃんブギー(Baby Sittin' Boogie, 1961)」の大ヒットでよく知られている。この曲はノベルティ・ソングであるけれど、他にヒット曲がなかったために彼の代表曲となり、とくに日本では一発屋(One-Hit Wonder)として評価されている。
ところで、私も最近まで「赤ちゃんブギー」しか知らず、偶然“I'll Never Forget, 1961”を聴いたところ、これが素晴らしい曲で、私自身こういったタイプの曲に目がないこともあって、掘り出しモノを探し当てたと喜んだ。けれども、この曲、どこかで聴いたことがあると気づき、しかしそれがどうしても思い出せずもどかしい思いをした。
YouTubeで調べてみたら、けっこう好きだった曲で、リトル・ペギー・マーチ(Little Peggy March)の“I'll Never Forget Last Night”という曲。バズ・クリフォードの“I'll Never Forget, 1961”を、1963年にカヴァーしたものだった。ペギー・マーチを聴くのがあまりに久しぶりだったので、この曲をすっかり忘れていた。

この“I'll Never Forget, 1961”という曲、ドゥーワップをバックに、なかなか迫力のあるティーン・ポップス(Teen Pops)となっている。それもそのはず、バックはティーンエイジャーズ(The Teenagers)の Sherman Garnesがとびっきりのベースを披露しているからだ。
また、リトル・ペギー・マーチの方も、カヴァーとはいえ、よく出来たガール・ポップス(Girl Pops)に仕上がっている。

バズ・クリフォードは、本名をReese Francis Clifford Ⅲといい、1941年10月8日、イリノイ州バーウィン(Berwyn,Illinois)で生まれた。15歳にしてBow Recordsと契約、2枚のシングルをリリースしたがヒットせず、その後コロムビア(Columbia Records)で吹き込んだ2枚目の「赤ちゃんブギー(Baby Sittin' Boogie, 1961)」が全米のポップチャート6位(R&B部門27位、カントリー部門28位)の大ヒットを記録した。
そのおかげで、彼はテレビのペリー・コモ・ショー(Perry Como Show)やマーヴ・グリフィン・ショー(Merv Griffin Show)、ディック・クラーク(Dick Clark)のアメリカン・バンドスタンド(American Bandstand)などに出演した。またフレディ・キャノン(Freddy Cannon)やディオン(Dion)らとともに英国ツアーに参加した。
その後、ロサンゼルス(Los Angeles, California)に移住したクリフォードは、ソングライターとして1960年代末にかけてペトゥラ・クラーク(Petula Clark)、クライド・マックファーター(Clyde McPhatter)、ルー・ロウルズ(Lou Rawls)、レオン・ラッセル(Leon Russell)フレディ・キング(Freddie King)、クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson)らの曲を書いた。
以後も彼の活躍は続くのだけれど、本記事の興味とは関連がなくなるので省略したい。

バズ・クリフォードのディスコグラフィー
(シングル盤)
14 Karet Fool / Golly Gosh Oh Gee(Bow 300)1958
Pididdle / For Always(Bow 308)1958
Hello Mr. Moonlight / Blue Lagoon(Columbia 4-41744)Aug.1960
Baby Sittin' Boogie / Driftwood(Columbia 4-41876)Nov.1960
Three Little Fishes / Simply Because(Columbia 4-41979)Mar.1961
I'll Never Forget / Awakening(COLUMBIA 4-42019)May.1961
Moving Day / Loneliness(Columbia 4-42177)Nov.1961
Forever / Magic Circle(Colunbia 4-42290)Feb.1962
More Dead Than Alive / No One Loves Me Like You Do(Roulette R-4451)Oct.1962
My Girl / Pretend(Roulette R-4500)Jun.1963
Until Then / (It's All Right) Let Her Go(RCA Victor 47-8935)Sep.1966
Swing In My Back Yard / Bored To Tears(Capitol 5880)Apr.1967
Just Can't Wait / On My Way(A&M 878)1967
So Good At Loving You / Children Are Crying(Dot 45-17329)Dec.1969
I Am The River / Proctor And Gunther(Dot 45-17344)Mar.1970
Baby Sittin' Boogie / Driftwood(Columbia 13-33217)1973

(LP盤)
BABY SITTIN' WITH BUZZ CLIFFORD
Baby Sittin' Boogie / I'm In Love Again / Shake, Rattle And Roll / True Love, True Love / Long Tall Sally / Simply Because / Golly Gosh Oh Gee / 14 Karat Fool / Pididdle / Moving Day / Three Little Fishes / I'll Never Forget (Columbia CL-1616 (mono) / CS-8416 (stereo) )1961


Buzz Clifford“I'll Never Forget”1961


Little Peggy March“I'll Never Forget Last Night”1963


Buzz Clifford“Baby Sittin' Boogie”1960

Clydie King “Our Romance” 1957

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Clydie King 1.jpg1970年代に購入したスペシャリティ(Speciality Records)のコンピレーション・アルバムの片隅に、クライディー・キング(Clydie King)の“Our Romance, 1957”がポツンと1曲だけ収録されており、この曲が素晴らしくて、いまだ憶えていた。
一方、クライディー・キングと言えば、1960年代後半から70年代前半にかけて活躍した、日本でも知られていた女性ソウル・シンガーで、まさか同じ歌手とは思っていなかった。
ところがデイスコグラフィーを確認すると同一人物とわかった、いや、クライディーという名前から同じ歌手と考えてもよかったのだろうけど、前者のクライディー・キングは、そのコンピ・アルバムのライナーノーツに記述がほとんどなく無名の存在(まさにその頃活躍していたのだが…)だったし、後者は、私自身が1960年代後半以降の音楽にほとんど興味がなかったため聴くこともなく、ただ名前を知っていただけだった。だから、あえて同一歌手であるなどと結びつけることはなかったのである。
今回は、そのクライディー・キングの“Our Romance, 1957”を紹介しようと思う。

クライディー・キングは本名をClydie Crittendonといい、1943年8月21日、テキサス州ダラス(Dallas, Texas)で生まれた。はじめはレイ・チャールズ(Ray Charles)の専属ガールグループ、The Raelettesに属した。その後自らのグループ、Little Clydie & The Teensを結成、メンフィス(Memphis)のPRMレーベルでシックスティーンズ(The Six Teens)が大ヒットさせた“A Casual Look”を、B面に“Oh Me”を吹き込んだ。まもなく彼女はソロ歌手としてデビューし、スペシャルティ(Speciality Records)で2枚のシングルを発表。そのうちの1曲が“Our Romance”であったが、ヒットすることはなかった。
クライディーは、Don Julian & The Meadowlarksのメンバーになったり、フィリップス(Philips Records)と契約し、ソウル歌手のMel Carterと組んでデュエット盤を出したり、グループ(Clydie King & The Sweet Things)を率いてレコーディングしたりしたが、いつしかシンガーとしてバックヴォーカルを専門とするセッション・ミュージシャンの道を歩んでいた。

彼女が参加した主なセッションを挙げておく。
Humble Pie、America、B.B. King、The Rolling Stones、Steely Dan、Joe Cocker、Bob Dylan、Linda Ronstadt、Dickey Betts、Rita Coolidge、Jackie DeShannon、Neil Diamond、Elton John、Al Kooper、Kris Kristofferson、Bette Midler、Billy Preston、Martha Reeves、Tommy Roe、Diana Ross、Leon Russell、Carly Simon、Dusty Springfieldら等々。
ここに記載したのはごく一部であるが、1960~80年代のアメリカン・ポップスを代表する歌手ばかりで、まさに錚々たる顔ぶれであった。

1970年代に入ると、彼女はThe BlackberriesやBrown Sugarなどのグループに属し、またセッション・シンガーなども続けた。

クライディー・キング(Clydie King)のディスコグラフィー
(シングル盤)
Little Clydie & The Teens
A Casual Look / Oh Me(RPM 462)1956

Clydie King
Our Romance / Written On The Wall(Speciality 605)1957
I'm Invited To Your Party / Young Foolish Love(Speciality 642)1958

Don Julian & The Meadowlarks
There's A Girl / Blue Mood(Original Sound 12)1960
It's Stompin' Time (Part 1) / It's Stompin' Time (Part 2)(Interlude 101)1961

Clydie King & The Sweet Things
Boys In My Life / Promises(Philips 40001)1962
Turn Around / Don't Hang Up The Phone(Philips 40051)1962
Only The Guilty Cry / By Now(Philips 40107)1963

Clydie King & Mel Carter
Who Do You Love / The Wrong Side Of Town(Philips 40107)1962

Clydie King
That Kind Of Love / ?(Claridge 300)?

Bonnie & The Treasures
Home Of The Brave / Our Song(Phi-Dan 5005)1965

Clydie King
The Thrill Is Gone / If You Were A Man(Imperial 66109)1965
Missin' My Baby / My Love Grows Deeper(Imperial 66139)1965
He Always Comes Back To Me / Soft And Gentle Ways(Imperial 66172)1966

Jimmy Holiday & Clydie King
Ready, Willing And Able / We Got A Good Thing Goin'(Minit 32021)1967

Clydie King
One Of Those Good For Cryin' Over You Days / My Mistakes Of Yesterday(Minit 32025)1967
I'll Never Stop Loving You / Shing-A-Ling(Minit 32032)1967
Love Now, Pay Later / One Part, Two Part(Minit 32054)1969

The Brothers and Sisters of Los Angeles
Mighty Quinn / The Chimes Of Freedom(Ode 121)1969
The Times They Are A Changin' / Mr. Tambourine Man(Ode 123)1969

Clydie King
Never Like This Before / The Long And Winding Road(Lizard 21005)1971
'Bout Love / First Time, Last Time(Lizard 21007)1971

Barry Goldberg & Clydie King
Mockingbird / -(Reprise 1120)1972

The Blackberries
Somebody Up There / But I Love Him(Mowest 5020)1972
Don't Change On Me / Twist And Shout(A & M 1442)1973

Brown Sugar
Somebody Stronger / One Way Street Called Love(Abkco 5001)1972
Don't Hold Back / Loneliness (Will Bring Us Together Again)(Bullet 711)1973
Don't Hold Back / Loneliness(Chelsea 78-0125)1973
Sugar, Didn't I / Moonlight And Taming You(RCA APBO-0149)1973

Clydie King & Brown Sugar
Dance To The Music / Love Can Bring You Down(RCA APBO-0239)1974

The Blackberries
Life Is Full Of Joy / Yesterday's Music(A & M 1630)1974

Clydie King
Punish Me / Punish Me (Instrumental)(U. K. 2801)1975

Brown Sugar
The Game Is Over (What's The Matter With You) / I'm Going Through Changes Now(Capitol 4198)1976
Don't Tie Me Down / Lay Some Lovin' On Me(Capitol 4367)1976

(LP盤)
Clydie King
Direct Me(Lizard / Ampex Records, A-20104)1972

Brown Sugar
Brown Sugar featuring Clydie King(Chelsea Records, BCL1-0368)1973

Clydie King
Rushing to Meet You(Tiger Lily Records, TL 14037)1976


Clydie King & Group “Our Romance” 1957


Little Clydie & The Teens “A Casual Look” 1956


Clydie King & The Sweet Things “The Boys In My Life” 1962


The Savoys (feat. Jimmy Jones)“Say You're Mine”1956

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The Savoys 1.pngこういった音楽ブログを書いている自分にとって、人生でいちばん最初に出会ったポップスは何という曲なのかなとふと思ってみた。ボンヤリといろんな曲が思い出されるが…ガキ同士で「ちゅうちゅうタコかいな~♪」などと口ずさんだ「恋の片道切符(One Way Ticket, 1959)」(ニール・セダカの歌だけど、聴いていたのはたぶん平尾昌晃のカヴァー曲)だろうか…? あるいは森山加代子の「メロンの気持ち(Corazon de melon, 1959)」(グロリア・ラッソ, Gloria Lasso)だろうか…? どうも1959~60年頃にヒットした曲みたいだが、当時それほどポップスに興味を持っていた訳でもなく、それにほんとに最初なのかどうかなんて確証はない。そこで、最初に好きになったポップスを思い出してみた。そうしたら、確かにそうであろうという曲に思い当ったのだ。
当時、テレビで「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)という番組があった。毎週楽しみにしていた番組で、ザ・ピーナッツとスマイリー小原&スカイライナーズがレギュラー出演し、さらに多彩なゲスト出演もあり、おもに海外のヒットポップスを歌い演奏する音楽番組だった。
その映像は、14インチのモノクロ画面だったけど、いまだにはっきり憶えている。その映像はスタジオ内の公園のジャングルジムで、今は亡き坂本九がそれによじ登って歌っていた。その曲が「ステキなタイミング(Good Timin', 1960)」だった。「ア、ティカ、ティカ、ティカ、グッドタイミング」と軽快に歌うこの曲を、当時小学生であった私は鳥肌を立てて聴き入っていた。
たぶん二番目に人生で好きになった曲がおそらくフォーシーズンズ(The Fourseasons)の「シェリー“Sherry, 1962”」(実際には九重佑三子&ダニー飯田とパラダイス・キングのカヴァー曲だが)で、両曲ともに裏声(ファルセット・ヴォイス)が特徴的な曲だから、今思えばそういった曲が自分のポップスに対する原初的な好みなのかと、ちょっと面白く思ったりした。

Jimmy Jones 2.jpgさて、このジミー・ジョーンズについて調べようとネット検索してみたら、アメリカ人の名前では最もありふれたものらしく、同姓同名の野球選手やバスケ選手、サッカー選手が幾人もヒットし、また、ジャズ・ピアニストのジミー・ジョーンズの関連サイトもたくさん出てきた。
それはともかく、歌手のジミー・ジョーンズの情報はけっこう多かったが、ソロ歌手としてデビューする以前に所属していたドゥーワップ・グループ、サヴォイズ(The Savoys)やプリテンダーズ(The Pretenders)の情報は少なかった。
ジミー・ジョーンズ(Jimmy Jones)は、1937年6月2日、アラバマ州バーミンガム(Birmingham, Alabama)で生まれた。その後ニューヨークに移住し、最初はタップ・ダンサーをしていたが、1954年にドゥーワップ・グループ、The Berlinersに参加。このグループは、駐留米軍のサービス要員であったFloyd Edmondsらによって西ドイツ(当時)で結成された。しかし、まもなくThe Sparks Of Rhythmに改められ、1955年にアポロ(Apollo Records)で2枚のシングルを発表したがヒットすることはなかった。
1956年2月、The Vocaleersのメンバーらが参加し、サヴォイズ(The Savoys)を結成、“You / Say You're Mine”をリリースしたがヒットしなかった。
その頃、ラマ(Rama Records)のオーナー、George Goldnerの知己を得、グループ名をプリテンダーズ(The Pretenders)として再結成、このグループの名前はプラッターズ(The Platters)の大ヒット曲“The Great Pretender”に由来するという。ラマではシングル盤2枚を発表した。
この年の11月、アラン・フリード・ショー(Alan Freed Show)でムーングロウズ(The Moonglows)、クレフトーンズ(The Cleftones)、ハープトーンズ(The Harptones)ら名門グループと競演した。プリテンダーズにとって、この年が最盛期で、その後グループ名をThe Jones Boysとしてみたり、Whirlin Disc、Arrow、Holidayなどのレーベルを転々としたりするがヒット曲には恵まれなかった。
1959年にジミー・ジョーンズは、ベテランのプロデュサー兼ソングライター、オーティス・ブラックウェル(Otis Blackwell)と組んでソロ歌手としてデビューすることになった。MGM傘下のCub Recordsからリリースした2枚目のシングル、「ハンディ・マン“Handy Man, 1959”」が全米ポップ・チャート第2位(全英3位)の大ヒット、続いて3枚目の「ステキなタイミング“Good Timinn', 1960”」も全米3位(全英1位)の大ヒットで、彼はこの2曲のミリオン・セラーで一躍時代の寵児に躍り出た。なお、「ハンディ・マン」は、デル・シャノン(Del Shannon)のカヴァーで1964年にヒットした。
その後、ジミー・ジョーンズはシングル盤を連発するがヒット曲を生み出すことはなかった。1960年代後半に歌手としてのキャリアを閉じたが、ソングライターなどの音楽活動を続けていたようである。
2012年8月2日、ノースカロライナ州(Aberdeen, North Carolina)で亡くなった。享年75。

ジミー・ジョーンズのディスコグラフィー
(シングル盤)
The Sparks Of Rhythm(The Berliners)
Don't Love You Anymore / Women, Women, Women(Apollo 479)Jul.1955
Hurry Home / Stars Are In The Sky(Apollo 481)Oct.1955

The Savoys
You / Say You're Mine(Savoy 1188)Apr.1956

The Pretenders
Possessive Love / I've Got To Have You Baby(Rama 198)1956
Lover / Plain Old Love(Rama 207)1956

Jimmy Jones & The Pretenders
Lover / Plain Old Love(Rama 210)1956

The Pretenders
Close Your Eyes (Sleep And Dream) / Part-Time Sweetheart(Whirlin' Disc 106)1957

Barbara Gorman & Sister Viv (Barbara (12 years old) and Viv(6 years old) backed by The Jones Boys)
Was It Just For Fun / 8-O'Clock Date(Arrow 714)1957

Jimmy Jones & The Jones Boys
The Whistlin' Man / Heaven In Your Eyes(Arrow 717)1957

The Pretenders
Tonight / I Love You So(Holiday 2610)1958
Blue And Lonely / Daddy Needs Baby(Central 2605)1958
Blue And Lonely / Daddy Needs Baby(Apt 25026)1958

The Savoys
With All My Heart / Please Say You're Mine(Savoy 1586)1960

Jimmy 'Handyman' Jones
With All My Heart / Please Say You're Mine(Roulette 4232)1960

Jimmy Jones & The Pretenders
Blue And Lonely / Daddy Needs Baby(ABC-Paramount 10094)1960
Close Your Eyes (Sleep And Dream) / Part Time Sweetheart(Port 70040)1964

Jimmy Jones
When Ever You Need Me / You For Me To Love(Epic 9339)1959
Handy Man / The Search Is Over(Cub 9049)1959
Good Timin' / My Precious Angel(Cub 9067)1960
Thats When I Cried / I Just Go For You(Cub 9072)1960
Itchin' For Love / Ee--I-Ee-I-Oh(Cub 9076)1960
For You / Ready For Love(Cub 9082)1960
I Told You So / You Got It(Cub 9085)1961
Dear One / I Say Love(Cub 9093)1961
Holler Hey / Mr. Music Man(Cub 9102)1961
You're Much Too Young / The Nights Of Mexico(Cub 9110)1962
I Will, I Will / I'm A Gentleman(Ro-Jac 1002)1962
Mr. Fix It / No Insurance (For A Broken Heart)(Vee-Jay 505)1963
Walkin' / Pardon Me(Roulette 4608)1965
Don't You Just Know It / Dynamite(Parkway 988)1966
39-21-40 Shape / Personal Property(Bell 682)1967
True Love Ways / Snap My Fingers(Bell 689)1967
If I Had A Hammer / Do It Yourself(Gospel Truth 1215)1974
I Don't Mind Confessing / Live And Let Live(Deke 5413)?
I'm So Glad I Got You / Do What Comes Natural(Deke ?)?
You Make Me Feel So Good / Good Timin'(Masterpiece ?)1986?
Handy Man / Good Timin'(Eric 4105)?

参考サイト
Jimmy Jones (singer) From Wikipedia, The free encyclopedia
Soulful Kinda Music Jimmy Jones
Marv Goldberg's R&B Notebook - The Jimmy Jones Story
JIMMY JONES
Doo Wop Biography Groups & Discography


The Savoys“Say You're Mine”1956


The Savoys“You”1956


Jimmy Jones & The Pretenders“Lover”1956


The Pretenders“I Love You So”1958


Jimmy Jones“Handy Man”1959


Jimmy Jones“Good Timin'”1960


坂本九“ステキなタイミング”1960

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