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Channel: ヒットしなかったけれど、ちょっといい曲
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The Dream Kings "M.T.Y.L.T.T." 1957

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最近、演歌を唄う黒人歌手が話題を集めているようだ。もの珍しさばかりではなく、力量を高く評価するファンもいれば、「日本人の心」をはたして表現できるのだろうかとイブカる向きもある。ソウル・ミュージックやブルースなど歌っている日本人歌手もいるのだからべつに不思議ではないが、世界のポピュラー音楽の中でマイナーな部類に属する演歌・歌謡曲に挑戦する初めての黒人歌手ということで注目を集めているのだろう。
また、黒人歌手が黒人音楽を演るとは限らないのに、演歌・歌謡曲を唄うと珍しがられるのは、黒人音楽が演歌・歌謡曲とはまったく異質なイメージを持たれているからだろう。

ところが、かなり以前から両者の類似性・共通性は語られてきたのである。
私にとって記憶に残るのは1960年代末のこと。和製ドゥー・ワップと言われ人気を博したキングトーンズと、ムード歌謡コーラス・グループ、内山田洋とクール・ファイブ。デビュー曲「グッドナイト・ベイビー」(1968)と、同じくデビュー曲「長崎は今日も雨だった」(1969)はともに大ヒットした。前者が黒人音楽を志向し、後者は演歌だったのに、私は同じような印象で聴いた。それぞれのリード・ヴォーカル、内田正人と前川清はともに米軍キャンプに出入りし、幼少からジャズ(その当時は、アメリカ音楽はすべてジャズと呼ばれていた)に親しんでいたということを知ったとき、さもありなんと思ったりした。

演歌・歌謡曲と黒人音楽の類似性・共通性は、たとえばコード進行が似ているとか、コブシを利かせた歌いまわしとか、何よりも民衆の心に熱く迫るものがあるとか、いろいろ言われていた。もちろん異論があることは承知だ。現在の私は、両者の音楽にそれほどの類似性・共通性があるとは思えないし、むしろ大きな隔たりや異質性の方がたくさんあるだろうと思っている。

さて今回は、黒人音楽のなかで、演歌・歌謡曲ぽいお気に入り曲を選んでみた。
黒人ドゥー・ワップに夢中になっていた頃、1974年だったと思うが、参加したオールディーズ愛好会の主宰者宅で聴かせてもらったのが表題曲の "M.T.Y.L.T.T."。その日本的な曲調にちょっとびっくりしたことを憶えている。それは、他の黒人音楽の中にも日本的なものに気づき発見する機会となった。しかし、それらを今聴いてみると、そうでもあるようなそうでもないような微妙な気分になる。つまり、よくわからなくなるのだ。

このドリーム・キングス(The Dream Kings)はかなりレアなドゥー・ワップ・グループで、予想どうりネット検索では見つからなかった。写真もなかった。ただ、"M.T.Y.L.T.T." が数種の海外のコンピCD盤に収録されていることがわかった。
ところが、ひとつだけこのグループを採りあげているアメリカ人のブログがあった。素晴しい曲を発見したとその思い入れが書かれてある。そして、このグループのリード・ヴォーカリストの息子と称する人物が連絡してくれとコメントを入れていた(http://erik1966route1.blogspot.com/2005/09/more-than-yesterday-less-than-tomorrow.html http://erik1966route1.blogspot.com/2006/06/mtyltt-revisited.html)。

このグループは、前身である The Drakes を1955年に結成し、57年にドリーム・キングスとグループ名を変更した。チェッカー(Checker Records)から唯一のシングル盤 "M.T.Y.L.T.T. / Oh, What A Baby" をリリース、シカゴ地区でローカルヒットしたらしい。"M.T.Y.L.T.T." とは、"More Than Yesterday, Less Than Tomorrow"の各単語の頭文字で、慣用句らしくうまく訳せないのだけれど、この文の前に"I Love You"を付けてみるとなんとなくわかってくる。なお、The Drakes についても調べてみたが、手許にあるディスコグラフィー・データブックに下記のように記載があった。

The Drakes
Let Them Talk (States - unreleased) 1955
Take A Giant Step (States - unreleased) 1955

The Dream Kings
M.T.Y.L.T.T. / Oh What A Baby (Checker 858) 1957

なんとなく演歌・歌謡曲ぽい黒人音楽を、比較参考のため、Sonny Knigt "Confidencial" 1956 と The Monitors "Our Schooldays" 1957 の2曲をアップするつもりだった。また、リトル・リチャード(Little Richard)、ジョニー・エース(Johnny Ace)、チャック・ウイリス(Chuck Willis)、サム・クック(Sam Cooke)らのそれらしき雰囲気の曲を俎上にのせて書いてみようと考えた。しかし、調べて書き出すとかなり時間を要するので別の機会にしたいと思う。

The Dream Kings "M.T.Y.L.T.T." 1957


The Cinderellas "Yum Yum Yum" 1959

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The Cinderellas.jpgYouTubeは、懐かしい曲とともに当時の貴重なフィルムや写真などあってけっこう楽しめる。でも、実物のドーナッツ盤写真のみの動画も多い。これらは、曲以外の情報がない場合もあるのだろうけど、しばしばレコード・コレクターである投稿者ご自慢の収集品展示であったりもする。興味のない人にはちっとも面白くないのだけど、マニアやコレクターには垂涎の的ともいうべきレコード盤の映像なのかもしれない。

さて、記事としてまだアップできずにいる何編かの書き止(さ)し原稿を持て余しながら、安直に記事にできそうな曲/アーティストはないものかと新着動画をチェックしていたら、オヤっという曲に出会った。シンデレラス(The Cinderellas)の「ヤム・ヤム・ヤム(Yum Yum Yum)」の投稿動画。聴きながら思い出したのは、70年代中頃オールディーズ・ファン・クラブに出入りしていた頃に交わした主宰者との会話。この曲の日本盤シングルを聴かせていただいたとき、私は初めて聴いたにもかかわらず「この曲けっこうヒットしたんでしょう?」と訊いた。すると彼は、ニヤリとして「それがゼンゼン」と言った。驚いた私はなんでヒットしなかったのかと問うたが、それは無意味な質問で、そのまま30年以上も経ってしまった。そして今、YouTube で再会し、また、なんで埋もれちゃったのかなと思いを馳せたりしたが、リリースが1959年と意外に古いことに気づき、なぜヒットしなかったのかピンときたのだった。

まだロックンロール熱の醒めやらぬ1950年代末、アメリカン・ポップスは大きな転換期を迎えていた。暴力と反抗のロックンロールは影をひそめ、替わって甘ったるい恋愛賛歌が蘇生、ポップ・ミュージックの復活である。従来の白人の伝統的なアメリカン・ポピュラー音楽がよりドリーミーに、よりポップになり、ティーン・サウンド新時代を迎えようとしていた。
1959年前後はその過渡期。ちょっとチグハグではあったけど、ユニークな曲がヒット・パレードを飾り、来たる時代を先導し活躍する歌手やプロデューサー、ソングライターが多数輩出した。たとえば60年代に一時代を築いたフィル・スペクター(Phil Spector)であり、バリー・マン(Barry Mann)、キャロル・キング(Carole King)、ニール・セダカ(Neil Sedaka)らのブリル・ビルディング(Brill Building)派、あるいはアルドン・ミュージック(Aldon Music)の面々など。
60年代に入ると、アメリカン・ポップスは多様化とともに全盛期へ。ヒットパレードはアイドル歌手らのたわいないワン・パターンのティーン・サウンドで埋め尽くされ、いよいよ爛熟期へ。そして、ビートルズ(The Beatles)らブリティッシュ・サウンドの世界的台頭で、栄耀栄華を極めたアメリカ・ポップスは朽ち、ロック新時代への幕開けとなる。
ティーン、ガール・ポップが咲き乱れたアメリカン・ポップス爛熟期(あるいは黄金期だったのかもしれないが)、コア期間は1961~63年で、日本では大体その1年遅れ。短命であったが、独特のドリーミー・サウンドはなんとも懐かしく、オールディーズ・ファンを情緒的な気分にさせる。
シンデレラスの「ヤム・ヤム・ヤム」という曲、その屈託のない歌声を聴いた私は、まさにその時代のヒット曲に違いないと思い込んでしまったのだ。

さて、白人系ガール・グループに限って、1950年代末期という時代を俯瞰してみると、フォンテーン・シスターズ(The Fontane Sisters)、デ・カストロ・シスターズ(The De Castro Sisters)、マックガイア・シスターズ(The McGuire Sisters)、コーデッツ(The Chordettes)、ポニー・テールズ(The Poni-Tails)らが活躍していた。ドリーミーなポニー・テールズの「もう少し早く生まれたかった(Born Too Late, 1958, 全米7位)」や、ソーダ・ポップなコーデッツの「ロリポップ(Lollipop, 1958, 全米2位)」など大ヒットしたが、彼女らの他の多くの曲は、まだ従来の伝統的なポピュラー・ソングの域を出ていなかった。

同時代にデビューした白人女性3人組・シンデレラスも「ヤム・ヤム・ヤム」以外の曲には、(YouTube で聴いていただければ)同様の印象を持たれるだろう。逆に言えば、「ヤム・ヤム・ヤム」は1962~63年であったら受け入れられただろうに、時代を先取りしたため注目されなかったということになる。デビューが「早すぎた」ガール・グループだったのかもしれない。
他に、同じく「早すぎた」ガール・グループを考えると、1959年にデビューしたデリケイツ(The Delicates)とスターレッツ(The Starlets)がいた。チャーミングな何曲かを発表したがヒットに至らなかった。しかし、この2つのグループは合体してエンジェルス(The Angels)となった。エンジェルスは、1963年に「わたしのボーイフレンド(My Boyfriend's Back)」の大ヒットで全米に知られることとなった。
反対に、1963~64年期、ポップスからロックの時代へと移行する頃デビューした「遅すぎた」グループもいた。いずれにせよ、時代の若者、大衆の欲求にマッチしなければどんな曲もヒットしない、それが流行歌の宿命なのだろう。

シンデレラズというガール・グループは資料にほとんど載っていないし、ネット検索でも十分な情報を得られなかった。いくつかの情報の断片から、少なくとも2グループが別個に存在していることがわかった。

「ヤム・ヤム・ヤム」を歌ったシンデレラスは、ベルギー(?)出身の白人女性3人組で、デッカ(Decca)レーベルから2枚、コロンビア(Columbia)レーベルから1枚、計3枚のシングルをリリースした。

Yum Yum Yum / Mister Dee-Jay (Decca 30830) 1959
I Was Only Fifteen / You Never Should Have Gone Away (Decca 30925) 1959
Puppy Dog / The Trouble With Boys (Columbia 4-41540) 1959

もうひと組のシンデレラスは、"Chains, 1962"や"Don't Say Nothin' Bad, 1963"などヒットさせたクッキーズ(The Cookies)の別名義。
クッキーズはよく知られており、黒人女性3人組で、結成は1954年と古く、とくにアトランティック(Atlantic)レーベル時代の"In Paradise, 1955"をはじめとする何曲かのリズム・アンド・ブルース(R&B)はなかなか素晴しく、私のお気に入り曲。いづれこのブログで紹介したいと思っている。

Baby, Baby(I Still Love You) / Please Don't Wake Me (Dimension 1026) 1964

実際は、シンデレラスというグループのレコードはまだ何枚かあり、同名異グループなのか、上記2グループに集約されるのか、現在のところは不明である。

YouTube から、「ヤム・ヤム・ヤム」の動画をアップし、他3曲をリンク、また、参考までにクッキーズのシンデレラス名義の1曲をアップしておく。

Yum Yum Yum 1959


Mister Dee-Jay 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=RSsP8qTqxbc

Puppy Dog 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=yr4XisJV5b8&feature=related

The Trouble With Boys 1959
http://jp.youtube.com/watch?v=ogNSn5wkZeQ&feature=related

The Cinderellas (The Cookies) "Baby, Baby(I Still Love You), 1964"
http://jp.youtube.com/watch?v=04a_gOuItj4

The Four J's "Here Am I Broken Hearted" 1964

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ロックへの視点.gif昨年暮、ダンボール箱の本を整理していたらちょっと懐かしい本が出てきた。パラパラめくっていると紙が一枚ハラリと落ちてきて、何だろうと思って見たとたん、さらなる懐かしさが込み上げてきたのだった。

まず、その本について紹介しておく。
昭和47年(1972)に音楽之友社から出版された「ロックへの視点」。中村とうよう、三井徹の両氏によるカール・ベルツ(Carl Belz)の”The Story Of Rock”(1969)の全訳である。訳者の中村とうよう氏はあとがきで「学問的な体系をもったロックの本格的研究書の草分け的存在」と評価していた。
当時、1950~60年代のアメリカ音楽に夢中になっていた私にとって、この本はそれらの音楽を概括的、歴史的に把握するための拠りどころであった。また、巻末の参考レコード(1953-1963)のリスト(300余曲)はエアチェックや音源収集のための指針と言ってもよく、ずいぶん活用させてもらった。

さて、そのハラリと落ちてきた紙とは、手書きコピーで、タイトルに「懐メロコンサート 予定曲」とあり、50余りの曲名と歌手・グループがリストされたもの。右肩余白に「昭和46年(1971年)9月11日」と記され、曲名の頭に何やら記号で私がメモした形跡があった。

この日、私は東京・銀座の山野楽器で開催された「懐メロコンサート」(レコード・コンサート)に参加したようだった。もう40年近く前のこと、会場の雰囲気などはほとんど憶えていない。同好の友人K君と一緒に行ったんではなかったっけ。
主催は「ミュージック・ライフ」(1998年に休刊)を発行していた新興音楽出版(現シンコーミュージック・エンタテイメント)だったと思う。若い男性社員二人がレコードを回しながら曲やアーティストの解説をしてくれたことを憶えている。

さて、どんな曲を聴かせてもらったのか、曲目リストから一部抜粋して、手書きコピーのとおり記しておく。

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懐メロコンサート 予定曲(曲目 変更の可能性極大)

◎ R&Bコーナー
 ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー(ドリフターズ)
 デューク・オブ・アール(ジーン・チャンドラー)
 ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(サム・クック)
 スタンド・バイ・ミー(ベン・E・キング)
 内気な17才(エセックス)
 ロコモーション(リトル・エバ)
 テル・ヒム・アイム・ノット・ホーム(チャック・J)
 ・・・・・(以下省略)

◎ ロッカ・バラード・コーナー
 内気なジョニー(ジョニー・ソマーズ)
 プリンセスではないけれど(ペギー・マーチ)
 涙のバースディパーティ(レスリー・ゴーア)
 カム・バック・トゥ・ミー(ロイ・オービソン)
 トラベリン・マン(リック・ネルソン)
 ジョニー・エンジェル(シェリー・フェブレー)
 燃ゆる想い(ジャミー・クー)
 ・・・・・(以下省略)

◎ その他 ホット・ロッド、サーフィン特集

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

リストを眺めると、オールディーズとして有名すぎる、言わば耳タコ曲ばかり。リアルタイムでよく聴いた大ヒット曲が多いけれど、当時、ラジオのFEN(米軍極東放送、現AFN)でしか聴けない本場のヒット曲もちらほら。選曲が幸運にも当時の私のお気に入り曲ばかりだったようで、会場での私の興奮がちょっと甦ってきたりもする。このリストには当時のお気に入り曲に「A」という印をつけたようだ。それほど多くないが、書き出してみると、私のいちばん好きなタイプがよくわかろうというもの(笑)。

 ゼア・ゴーズ・マイ・ベィビー(ドリフターズ)
 デューク・オブ・アール(ジーン・チャンドラー)
 ハンディ・マン(ジミー・ジョーンズ)
 Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)
 バタフライ・ベィビー(ボビー・ライデル)
 オーバー・ザ・マウンテン(ジョニーとジョー)
 可愛いドンナ(ダイオン)
 レッツ・ゴー・ストーリ(クレイグ・ダグラス)
 クライ・クライ・クライ(ジャック・スコット)
 涙の日記(バリー・ダーベル)
 コーヒー・デイト(エディ・ホッジス)

このコンサートで初めて聴いたのは「Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)」と「バタフライ・ベィビー(ボビー・ライデル)」の2曲。すっかり私のお気に入りとなって、当時、必死になって音源を探したものだった。

The Four J's.jpg今回は、そのうちの1曲、「Mr.ブロークンハーテッド(フォージェイズ)」を採りあげてみた。
この曲、「ミスター・ブロークンハート(Here Am I Broken Hearted, 1964))」は典型的なホワイト・ドゥー・ワップ(White Doo Wop)曲。1963年末に録音、64年発売と、ホワイト・ドゥー・ワップ全盛が1960年前後のことだから、あまりに遅すぎる新譜。アメリカではビートルズ(The Beatles)らブリティッシュ・ロック全盛を迎えようとしていた時代だ。やはりヒット・チャートにランク・インした記録は見つからない。日本では昭和39年(1964)にキング・レコードから「ミスター・ブロークンハート/恋されて」(HIT-312)のシングル盤が発売された。ラジオで聴いた記憶もなければ、ヒットした形跡もない。どうやら「遅れてきたドゥーワップ」のようであった。

このフォー・ジェイズが結成されたのは、たぶん1959~60年のことと思われる。フィラデルフィア出身の4人組。フランキー・アヴァロン(Frankie Avalon)とともにチャンセラー・レーベル(Chancellor)のドル箱・スターで、後に青春(コメディ)映画の人気スターとなったフェビアン(Fabian)の専属バック・コーラスとしてデビューした。当初はファビュラス・フォー(The Fabulous Four)と名乗り、コンサート・ツアーなどに同行していた。この間(1960~62)、チャンセラーから7枚のシングルをリリースしているが、ヒットはなかったようだ。フェビアンの映画界転向にともない、彼らはジャミー・レーベル(Jamie)に移籍、「ミスター・ブロクンハート」を含む2枚のシングル盤をリリースしたがヒットしなかった。その後のこのグループについては不明である。

以下、判る範囲でフォー・ジェイズのディスコグラフィーを記しておく。当時のドゥー・ワップ・グループは、メンバー交代、グループ名変更、レーベル移籍、同名異グループの存在などの事情で確かな情報を提示しにくい。また、ほとんど情報はないのだけれど、たとえ断片的な情報があってもあまり信用できるものではない。もはや不確かな情報を網羅せず、私の判断で、たぶんそうであろうと思われる情報のみ記述させていただく。

The Fabulous Four
Mister Twist / In The Chapel In The Moonlight (Chancellor 1062) 1960
Let's Try Again / Precious Moments (Chancellor 1068) 1961
Sounds Of Summer / Why Do Fools Fall In Love (Chancellor 1078) 1961
Betty Ann / Prisoner Of Love (Chancellor 1085) 1961
Everybody Knows / I'm Coming Home (Chancellor 1090) 1961
Everybody Knows / Mister Twist (Chancellor 1098) 1961
Forever / It's no Sin (Chancellor 1102) 1962

With Fabian
The love that i'm giving to you / You're only young once (Chancellor 1079) 1961

The Four J's
Here Am I Broken Hearted / She said that she loved me (Jamie 1267) 1964
By Love Possessed / My Love My Love (Jamie 1274) 1964

「ミスター・ブロークンハート」は、「クライ(Cry, 1951)」や「雨に歩けば(Just Walkin' In The Rain, 1956)」などの大ヒットで日本でもよく知られているジョニー・レイ(Johnnie(Johnny) Ray)の1952年ヒットの同名曲カヴァーである。ジョニー・レイの歌がオリジナルかどうかわからないが、フォー・ジェイズによるドゥー・ワップ・アレンジはとても同じ曲とは思えない。参考までにYoutubeからジョニー・レイ版もアップしておくので聴き比べてみてほしい。

Here Am I Broken Hearted, 1964


(参考)Johnnie Ray, 1952



Ann Cole "Have Fun" 1962

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Ann Cole 8.jpgもうだいぶ前(10年以上前か…)、若い頃よく入り浸っていたレコード店を久しぶりに覘いてみたときのこと。「R&Bコーナー」という棚が設けてあって「あなうれし」と早速飛びついた。パラパラと見ていたが、ジャケットの雰囲気がまったく新しい、知らないアーティストばかり。店員さんに「リズム・アンド・ブルースなんでしょ、ここ?」って聞くと、やや年長の店員さんが「最近のもリズム・アンド・ブルースって言うんですよ」とこちらの戸惑いを見透かしたようにちょっと苦笑して答えてくれた。これだけのスペースを割いているんだから新しい黒人音楽だよねと納得はしたが、しかし、なんでまた同じジャンル名 ― 1950年代の古くさい黒人音楽 ― にしているんだろうと納得のいかない気持ちも抱いたことを覚えている。

新しい黒人音楽を聴く機会は少ないが、ときたま耳に入ってくることもある。あの時代(1950年代)のR&B(リズム・アンド・ブルース)と同じ範疇(カテゴリー)には入るのだろうけど、まったく異なる音楽のように聴こえる。古い黒人音楽を長く聴いてきたわたしの耳にはやはり馴染めない。時代が違うのだから仕方ないとは思う。でも、R&Bは、ブルース、ゴスペル、ソウル・ミュージック、あるいはブラック・コンテンポラリーなどと同様、一時代を築いた音楽世界だった。のちの大衆音楽にも多大な影響を与えてきた固有のジャンルであり、音楽用語としても確立しているはず。なのに最近の黒人音楽になぜ同一ジャンル名を施しているのだろう? 混乱を招くだろうし、第一、すごい違和感を覚えるのだが…。音楽業界はなぜ気を利かせて別の命名にしなかったのか、いささか不可解でもある。それとも、新しい黒人音楽に「R&B」と名付けなければならない必然的な理由でもあったのだろうか?

ところで、1950年代のR&Bにきちんとした定義でもあったのかと問われれば答に窮する。実際、1940年代に都市部で台頭してきた「ジャンプ・ブルース(Jump Blues)」とどう聴き分けたらいいのか、そのジャンプ・ブルースも「シティ・ブルース(City Blues)」や「アーバン・ブルース(Urban Blues)」などとどう区分したらいいのかよくわからない。一方、1950年代末から60年代初頭に興ったソウル・ミュージック(Soul Music)は、その初期においてR&B全盛期とほとんど重なって登場してきたためか明瞭な区別もつけにくい。
では、そういったジャンル分けは言葉の遊びのようなものでまったく意味がないのかと言われれば必ずしもそうではない。それぞれの音楽がジャンル分けされたのは、やはり、社会的、地域的、音楽的、時代的にエポックメーキングな事情を反映しているからだろう。

そういった観点からR&Bをちょっと眺めてみる。
もともとブルース(Blues)は全米各地域で発展してきたものだったが、第二次世界大戦後、黒人の都市部への移動などで独自の黒人音楽が興った。これが前述のシティ・ブルースやアーバン・ブルースと呼ばれる所以だろう。また、従来の(古典的な)ブルースに比べ、ジャズ(Jazz)で用いられるホーン楽器・電気楽器の音響効果や、ブギウギ(Boogie Woogie)のリズム、ゴスペル特有のシャウト(Shout)唱法など採り入れ格段に強いビート感、激しいジャンプ感を生んだ。そんな音楽的特徴からジャンプ・ブルースと呼ばれるようになったのだろう。
そして全米に広く浸透していくとともに白人層にも認識されていくわけだが、レイス・ミュージック(Race Music;人種音楽)という表現はあまり好ましいものではなかったためか、1949年、大衆音楽誌・ビルボード(Billboard)はリズム・アンド・ブルース(Rhythm And Blues; R&B)という名称に置き換えた。これがR&Bと呼称される始まりとなった。
1950年代に入るとR&Bはますます発展・拡大していくことになるが、とりわけ、ロックンロール(Rock'n'Roll)・ブームの原動力となり白人社会に進出していった。1950年代中期・後期にはチャック・ベリー(Chuck Berry)、リトル・リチャード(Little Richard)、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)、レイ・チャールズ(Ray Charles)、ルース・ブラウン(Ruth Brown)、クライド・マックファーター(Clyde McPhatter)、ラヴァーン・ベイカー(LaVern Baker)、ロイド・プライス(Lloyd Price)ら黒人R&Bスターが全国的に人気を博した。さらに、ストリート・コーナー・ハーモニー(Street Corner Harmony)から発展したドゥー・ワップ(Doo Wop)が大流行し、夥しい数の黒人ヴォーカル・グループが生まれた。R&Bは、まさに当時の全米音楽市場の主導権すら握ってしまう様相を呈した。ドゥーワップは、ホワイト・ドゥー・ワップ(White Doo Wop)、そしてドリーミーなティーン・ポップス(Teen Pops)などへと引き継いでいったが、ロックンロールの衰退とともに、R&Bは立ち停まってしまうことになった。
1950年代末、黒人音楽であるR&Bが、ロックンロール路線に乗ってコマーシャリズムに走りすぎ、享楽的なエンターテインメントに堕落してしまったという反省や自戒が一部の黒人の間に芽生えていた。黒人本来の音楽 ― 原点に戻ろうという一種の民族意識や、当時盛り上がっていた公民権運動の影響などあったのかもしれない。いずれにせよ、これがソウル・ミュージック誕生のキッカケとなった。ソウルはその名称を残したまま70年代以降また別の音楽へと変化していくが、初期においては、かってのゴスペル・ミュージックを想起させるような「心と魂(Heart & Soul)」を、R&Bで培った強いビートに乗せて熱く歌い上げようとするものであった。

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一番好きな音楽ジャンルは何だろうかと考えてみた。もちろん、どんなジャンルでも素晴しい曲はたくさんあって絞り込む必要はないのだけれど、長い間、1950年代から60年代の大衆音楽を聴いてきた中で、とりわけ黒人音楽への想いは熱かったように思う。ジャズやブルース、ドゥー・ワップもソウル・ミュージックも夢中になって聴いていた時期はあったが、今だ強く惹かれ興味深く聴いているのが 1940年代後半から1950年代のジャンプ・ブルース~R&Bかもしれない。ちょうどロックンロール旋風が興る前夜の、あまり陽の当たらない時期の黒人音楽である。日本ではとくに不人気の分野らしく、CDレコードの販売規模はきわめて小さく、一般のレコード店ではあまり扱われておらず、音源収集も思うにまかせないけれど、その歴史的価値、音源の入手困難さゆえに聴きたいという気持ちが強くなってきたのかもしれない。

今回は、女性R&B歌手、アン・コール(Ann Cole)を採りあげてみた。マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)のヒット曲”Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You), 1957”のオリジナル歌手として少しばかり知られている以外ほとんど無名に近い。彼女は、ゴスペル~R&Bと1950年代の黒人音楽とともに生き、ソウル・ミュージックの旗手のひとりと期待されていた。そんな彼女の音楽と、その足跡を紹介してみたいと思った。
なお、当初、表題曲を50年代のR&B曲にしようと思っていたが、ソウル・ミュージック、とくにレディー・ソウルに凝っていた一時期に好んで聴いていた”Have Fun, 1962”の方を選んでみた。R&B歌手ではあるけれど、たった2曲しか歌っていないとは言え、彼女の真価はソウル・ミュージックにあったのではないかと、個人的には思うのである。

Ann Cole 7.jpgアン・コールは本名をシンシア・コールマン(Cynthia Coleman)といい、1934年1月24日(29日という説もある)、ニュー・ジャージー州 Newark に生まれた。父は有名なゴスペル・グループ、The Coleman Brothers(1918年結成)のメンバーで、彼女は幼少の頃から父や叔父らの歌を聴いて育った。そして12歳になると、教会で歌ったり、父親たちとコンサートに出演した。
1949年、彼女が15歳になったとき、従兄弟らとともにゴスペル・グループを結成、グループ名を The Colemanaires(Cynthia Coleman, Joe Walker, Sam Walker and Wesley Johnson)と名乗った。リード・ヴォーカルはアンが担当、全米主要都市を約2年間にわたって巡業した。
1953年から54年にかけて、彼らは名門アポロ(Apollo)レーベルの傘下 Timely で5枚の 78回転シングル(一枚はApollo盤)を吹き込んだ。この間、アンは個人名義でも3枚録音している。いずれもヒットすることなく終わってしまった。またこの間に、彼女は、The Three Kings 、The Claudiettes というヴォーカル・グループを率いて2レーベルから一枚ずつリリースした記録も残っているが、それらに関することは不明。
アンの歌声を耳にして強く惹かれた人物がいた。バトン(Baton)・レーベルの Sol Rabinowitz である。彼は無名の新人を探し求めていた。バトンは、"A Thousand Stars"のヒットを放ったリヴィリアーズ(The Rivileers)や、大ヒット曲”Lonely Nights”を歌った黒人女性グループ、ハーツ(The Hearts)を擁するニュー・ヨークの中堅レーベルである。アンはこのレーベルと専属契約を結び、ゴスペルから時の黒人音楽、リズム・アンド・ブルース(R&B)に転向することとなった。
1955年から58年にかけて、このレーベルで8枚のシングル盤をリリースした。デビュー曲の”Are You Satisfied ?”はビルボード誌、キャッシュボックス誌ともにR&Bチャート10位と幸先のよいスターを切った。4枚目の”In The Chapel”は14位と健闘、5枚目はちょっとしたエピソードとともに思わぬ展開が待っていた。

Got My Mojo Working 4.jpg1957年初め、シカゴ・ブルースの巨人、マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)と南部を公演旅行したとき、その5枚目、すでに録音はしていたけれどまだ発表していなかった”Got My Mo-Jo Working(But It Just Won't Work On You)”を、マネージャーの Sol Rabinowitz の警告があったにもかかわらず、マディのバンドをバックに歌ってしまった。この曲を聴いたマディはいたく気に入りチェス(Chess)・レーベルに頼んで録音してしまった。結局、アン・コールのリリースとほぼ同時に発売され、同じ週のR&Bヒット・チャートにランキング入りした。マディ・ウォーターズは7位、アン・コールは3位まで上昇した。アンにとっては最大のヒット曲となったが、マディにとっては「フーチー・クーチー・マン(I'm Your Hoochie Coochie Man, 1954)」とともに定番のレパートリー曲となった。
マディに歌われたことによって有名となったこの曲は多くのカヴァー版を生んだ。ちなみにカヴァーした主な歌手、グループ、ジャズ演奏者らを記しておく。ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)、コンウェイ・トゥイッティ(Conway Twitty)、マンフレッド・マン(Manfred Mann)、ゾンビーズ(The Zombies)、キングスメン(The Kingsmen)、ポール・リビアとレイダース(Paul Revere & The Raiders)、ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)、ジミー・スミス(Jimmy Smith)、アート・ブレーキー(Art Blakey)、カーラ・トーマス(Carla Thomas)、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)、B.B.キング(B. B. King)バディ・ガイ(Buddy Guy)、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)ら。その錚々たる顔ぶれにちょっと驚かされる。また、2004年のローリング・ストーンズ誌(Rolling Stone magazine)”500 Greatest Songs of All Time”の359位に選ばれている。
この曲は、プレストン・フォスター(Preston Foster)が作詞・作曲したもので、オリジナル歌手はアン・コールなのだけれど、マディ版に若干の歌詞の違いがあったり、またチェスがこの辺の事情を知らなかったためか、作者をマディ・ウォーターズと主張したため訴訟問題となった。裁定はフォスターが作者と認められたが、その後も著作権問題で両者は争っているという(最新情報ではどうなっているのか不明なので興味ある方は調べてみてください)。
なお、アン・コールは、この曲のおかげでキャッシュ・ボックス誌の1956年度「最も有望な新人女性R&B歌手(Most Promising New Female R&B Vocalist)」に選ばれた。

その後、ファッツ・ドミノとのデュエット盤(Imperial 5444 のB面)を吹き込んだりしたが、ヒット曲に恵まれず、1958年に彼女はバトンを去った。以降、APT、Sir、MGMなどを転々としながら何枚かリリースするがいずれも不発に終わった。
どういう経緯なのか不明だが、1962年、彼女は名門レーベル・ルーレット(Roulette)で吹き込むことになった。リチャード・バレット(Richard Barrett)、彼は1950年代の最も成功した黒人女性ヴォーカル・グループ、シャンテルズ(The Chantels)のヒット曲の多くを手がけ、マネージャーも兼ねる人物であった。その彼がプロデュースを担当した。A面は、同じ年 R&Bチャート6位まで昇ったエタ・ジェームズ(Etta James)の”Stop The Wedding”のアンサー・ソング、”Don't Stop The Wedding”で、全米99位を記録した。彼女にとっては初めてのポップ・チャートのランク・インであった。B面の”Have Fun”はR&Bチャート21位まで上昇した。2曲とも新時代のソウルフルな佳曲ではあったが、これが彼女の最後のシングル・リリースとなった。
1960年代中頃としか記録にはないが、彼女は自動車事故に遭いかなり深刻なダメージを負った。以後車椅子で生活することになり再び音楽活動に戻ることはなかった。およそ20年経た1986年11月、故郷の Newark でほとんど誰にも知られることなくその生涯を終えた。享年51歳であった。

[ディスコグラフィー]
The Colemanaires
Old Ship Of Zion (Part 1) / Old Ship Of Zion (Part 2) (Timely 101) 1953
Joy In The Prayer Room / Somebody Saved Me (Timely 102) 1953
I'll Fly Away / When The Pearly Gates Unfold (Timely 103) 1953
Be Ready When He Comes / Out On The Ocean Sailing (Timely 105) 1954
This May Be The Last Time / I Cannot Understand It (Apollo 308)- 1954 (1957)

Ann Cole (with Howard Briggs Orchestra)
Danny Boy / Smilin' Through (Timely 1006) 1954
Oh Love Of Mine / I'll Fina A Way (Timely 1007) 1954
Down In The Valley / So Proud Of You (Timely 1010) 1954
Since I Fell For You / Then You Taught Me How To Cry (Timely 1012) 1954 unissued

Ann Cole with The Three Kings
The Fishin' Song / Adam Had 'Em (Record Specialties 47-624/625) ?

Ann Cole With The Claudiettes
Please Forgive Me / I Want To Be A Big Girl (Mor-Play 701) 1955

Ann Cole (with McRae Orchestra)
Are You Satisfied ? / Darling Don't Hurt Me (Baton 218) 1955
Easy Easy Baby / New Love (Baton 224) 1956
My Tearful Heart / I'm Waiting For You (Baton 229) 1956

Ann Clark(アン・コール本人かどうか未確認)
Those Lonely, Lonely Nights / I Had A Dream (Ace 512) 1956

Ann Cole with The Suburbans
In The Chapel / Each Day (Baton 232) 1956
Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You) / I've Got A Little Boy (Baton 237) 1957

Ann Cole
No Star Is Lost / You're Mine (Baton 243) 1957

Fats Domino with Ann Cole(B面のみ)
What Will I Tell My Heart / When I See You (Imperial 5454) 1957

Ann Cole
Give Me Love Or Nothing / I've Got Nothing Working Now (But My Real Old Fashioned Love) (Baton 247) 1957
Love In My Heart / Summer Nights (Baton 258) 1958

Ann Cole (with Sammy Lowe Orchestra)
Nobody But Me / That's Enough (Sir 272) 1960
A Love Of My Own / Brand New House (Sir 275) 1960
In The Chapel / Plain As The Nose On Your Face (MGM 12954) 1960

Ann Cole
Have Fun / Don't Stop The Wedding (Roulette 4452) 1962

[曲について]
彼女のゴスペル曲のすべては、78回転シングル盤のみではあるけれど Timely に残されている。原盤入手は困難だろうし、また対応できるプレーヤーもないので聴くことは難しい。しかし、2001年にBluecityからCDで集大成盤が復刻された。また、Baton のR&B曲は、10年ほど前 ACE から”The Baton Label Sol's Story”というコンピ盤が発売されたので、完璧とは言えないまでもこの2枚でほぼ全容を聴くことができる。また YouTube でも主要曲を楽しむことができる。Roulette の2曲は、ソウル・ミュージック系再発レーベルのいくつかのコンピ盤に収録されている。

Have Fun, 1962 … 小品ながらも情感たっぷりのソウル・バラード。マキシン・ブラウン(Maxine Brown)やカーラ・トーマス(Carla Thomas)の歌と重なる。イントロの男声ナレーションは、もしかしたらプロデューサーのリチャード・バレットかも。彼はシャンテルズをバックに歌っていたからだ。


Don't Stop The Wedding, 1962 … ゴスペルで鍛えた彼女の声や唱法は、来たる時代のソウル・ミュージックにピッタリだと思うのだが、それにしても残念・・・。


My Tearful Heart, 1956 … ミディアム・テンポのR&Bバラードであるが、私がひそかに彼女の最高の傑作じゃないかと思っている作品。ルース・ブラウンやラヴァーン・ベーカーよりちょっと線の細いのが残念だが。


Got My Mo-Jo Working (But It Just Won't Work On You), 1957 … この彼女の歌がこの曲のオリジナル。ジャンプしまくる彼女とバックアップ・コーラスのサバーバンズの掛け合いがまた素晴しい。


(参考)Muddy Waters & James Cotton - Got My Mojo Working, 1966 … 少々新しいが、マディの歌う映像を観ていただきたいのでライヴをアップ。ジェームズ・コットンのハーモニカもいい。


Summer Nights, 1958 … Baton での最後の曲。こういう、彼女らしくない、あまり特徴のない曲を歌い出したらやはり落ち目なのかも。ちょい哀しそうな歌声、個人的にはけっこう好きなのだけれど…。

The Four Coquettes "Sparkle And Shine" 1961

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calquettes trim1.gif1950~60年代のオールディーズをアトランダムに聴いていると、ふっとジム・ピューター(Jim Pewter)氏のちょっとエキサイティングな語り口が重なって聴こえることがある。ジム・ピューター氏とは、ラジオ、FEN(現AFN)の音楽番組「ジム・ピューター・ショー(Jim Pewter Show)」のディスク・ジョッキーである。この番組を、わたしは10代後半から20代半ば頃まで約10年間に亘って聴いていた。さらにテープに録音して何度も聴いていた。何しろ本場のロックンロールやティーン・ポップス、はたまたR&Bやドゥー・ワップをガンガンかけてくれるので、当時日本でほとんど聴くことのできなかった珍しい曲を聴くことができた。(この辺の事情については、当ブログ“The Timetones "Pretty, Pretty Girl" 1961”の記事中にやや詳しく記述したのでご参照を)

この番組では「ああ、またか」と思えるくらい繰り返しかかった曲があった。きっとジム・ピューター氏のお気に入り曲だったのだろう。それらの曲は、彼の語り口とともによく耳に残っており、聴くたびに冒頭の如くの幻聴(?)をともなうのかもしれない。
ところで、ジム・ピューター氏は、今もご健在なのだろうか?

この番組でしつこく何度もかかった曲(今、思いつくまま)
・The Timetones "Pretty, Pretty Girl" 1961(紹介済)
・The Clovers "Devil Or Angel" 1955
・Chuck Miller "The House Of Blue Lights" 1955(いずれ紹介したい曲)
・The Shields "You Cheated" 1958
・The Four Coquettes "Sparkle And Shine" 1961
・The Skyliners "Since I Don't Have You" 1959

今回はこの中から、フォー・コケッツ(The Four Coquettes)「スパークル・アンド・シャイン(Sparkle And Shine, 1961)」を紹介してみたい。この曲は、ローカル・ヒットしたが、全米で知られたわけではない。また当時日本で紹介されたかどうかも不明である。にもかかわらずオールディーズ・マニアの間ではよく知られている。書籍資料やネット検索では見つけられなかったが、最近この曲を収録した海外CDのライナー・ノーツなど参考に紹介しておく。

1960年、カルフォルニア・ロス・アンジェルス(Los Angeles, California )の女子大生4人(Judi Hersh、Carol McConkey、Muffy Cohan、Mary Anne Lucas)によって結成された。タレント・ショーなどに出演していた彼女らを見出だしたのは、ヒスパニック系の歌手 Vic Diaz で、彼はブルース・べラード(Bruce Bellard)にこのガール・グループを紹介した。べラードは、フォー・プレップス(The Four Preps)のメンバーで、同じくメンバーのグレン・ラーソン(Glen Larson)とともに音楽プロダクションを立ち上げていた。フォー・プレップスは何曲かヒット曲を持つ白人男性コーラス・グループで、すでに全国的な地位を確立していた。ただ、人気衰退を考えて会社経営に参入したらしい。
1961年、ブルースがマネージャーとなり、彼の書いた「スパークル・アンド・シャイン」をキャピトル(Capitol)からリリースした。この曲は、ロス・アンジェルスで第6位の好成績をおさめたが、全米ヒット・チャート(Billboard)107位とあまり振るわなかった。同じ年、ケーシー・ヤング(Kathy Young & The Innocents)もこの曲をカヴァーしている。
その後、グループ名をフォー・カルケッツ(The Four Cal-Quettes)と改め、キャピトルから3枚、リバティ(Liberty)から1枚、シングル・リリースした。いずれもヒットすることはなく、1963年に解散したらしい。

The Four Coquettes
Sparkle And Shine / In This World (Capitol 4534) 1961

The Four Cal-Quettes
Star Bright / Billy My Billy (Capitol 4574) 1961
I'm Gonna Love Him Anyway / Most Of All (Capitol 4657) 1961
I'll Never Come Back / Again (Capitol 4725) 1962
Movie Magazines / I Cried (Liberty 55549) 1963

なお、彼女らの写真集が卒業大学同窓ページにあった。「アゲイン(again)」(MIDI)のメロディとともに、なかなかいい雰囲気のサイトなのでぜひご観賞を。
 http://unihi61.com/FourCalquettes.htm

Sparkle And Shine, 1961


その他のYouTube動画
In This World, 1961
 http://www.youtube.com/watch?v=cdZ6EnNgzX4
Star Bright, 1961
 http://www.youtube.com/watch?v=-9hGU4ZX5Z0&feature=PlayList&p=00666A41BF2388FA&playnext
=1&playnext_from=PL&index=1
I'll Never Come Back, 1962
 http://www.youtube.com/watch?v=dT6Nhdl8248

Kathy Young & The Innocents "Sparkle And Shine"1961(参考)

再開にあたって

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2009年5月以来、何と3年半余りの月日が経ってしまった。その間このブログを一度も更新せず放置してしまったことは悔やまれる。

記事を書く気分になれなかったと言えばそうなのだけれど、やはり、より多くの情報をより正確に記述しようとしたために調査や翻訳に力を入れざるを得ず、次第に荷が重くなり、苦痛になってしまい、まったく書けなくなってしまった。ま、能力が乏しい上に怠け者なのだから仕方ないことなのだけれど…。
もともと楽しみのために始めたブログなので、もっと気楽に書けばいいものを、少々凝り性のため欲張ってしまい、時には重箱の隅をつつくようなこともやってしまった。

以上の反省を踏まえて、今後は、もっと気楽に、あっさりと書きたいと思う。とは言え、興に乗ってしまえばどうなるかわからないけど、でも、このブログを読んでくださる同好の方にできるだけ早く、継続的に記事をお届けしたいと思っている。

それから最後に一言。なんでこのブログを再開しようと思ったかと言えば、ブログをスタートさせた当初の思いとまったく同じで、やはり自分自身がこの種の音楽をたまらなく好きで、その思いを伝えたいし、こんな素晴らしい宝物を誰かに知らせないわけにはいかないという気持ちに衝かれたからだ。
それから、たぶんこの種の音楽の愛好者は音楽人口の中で極めて少数だろうし、黙っていたら確実に淘汰されて絶滅してしまうだろう。でも、気負った気持ちはあまりないのだけれど、それでも後世に残せたらという望みも少しはある。

ティーン・ポップスの「ヒットしなかったけれど、ちょっといい曲」

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今回はちょっと趣向を凝らしてティーン・ポップスの「ヒットしなかったけれど、ちょっといい曲」を YouTube から集めてみた。

ティーン・ポップスといえばその名称からして同時代のガール・ポップスも含まれそうだけれど、どういうわけか男性歌手のみで、しかもけっこうイカしていてちょっぴり不良っぽい男の子がこぞって唄うドリーミーな曲が多い。

その特長といえば、1.歌があまりうまくないこと、2.(黒人のように)声がテカっておらず、あえて言えばクスんでいること、3.曲はちょっぴり切なくて、おセンチでドリーミーで、恋愛賛歌であること、4.バックコーラスに Doo Wop 調の、とりわけ女性コーラスを多用していることなど挙げられるだろうか。

当時日本でもこの種の曲は好まれ、ヒットパレードを大いに賑わせた。
例えば、ポール・アンカ(Paul Anka)やニール・セダカ(Neil Sedaka)は別格としても、リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)、ボビー・ライデル(Bobby Rydell)、ボビー・ヴィー(Bobby Vee)、ジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson)、フェビアン(Fabian)、フランキー・アヴァロン(Frankie Avalon)、ディオン(Dion)、デル・シャノン(Del Shannon)、エディ・ホッジス(Eddie Hodges)、ジョニー・シンバル(Johnny Cymbal)らの歌手が人気を博した。

また、一発屋(一曲だけの大ヒットで有名となり、その曲のみで終わった歌手)では、ロビン・ルーク(Robin Luke)、ジャミー・クー(Jamie Coe)、バリー・ダーベル(Barry Darvell)、ジョニー・ディアフィールド(Johnny deeafield)らがおり、本国・アメリカではなく日本でのみ大ヒットさせた歌手もいる。

大ヒット曲がなくて日本ではまったく無名だが、米国ではそこそこ知られており、オールディーズ・マニアの間では人気のあるヴィニー・モンテ(Vinnie Monte)、アダム・フェイス(Adam Faith)、アンディ・ローズ(Andy Rose)、ボビー・コムストック(Bobby Comstock)、クリス・ジェンセン(Kris Jensen)、サミー・サルヴォ(Sammy Salvo)、ボビー・カートラ(Bobby Curtola)、ジェリー・フラー(Jerry Fuller)らがいる。
これらの無名のティーン・ポップス・アイドルは掃き捨てるほどたくさんいて、よく似たステレオタイプの曲を歌った。
今回アップした曲のほとんどはこのグループから選んでみた。

さて、ディスコグラフィーや解説(評伝)はヤメにして、早速聴いていただこう。(実際に調べてもデータはそれほど多く集められないと思う)

これらの曲は、私のハードディスクに溜めていたお気に入りのティーン・ポップス曲から選んだもので、まだ未聴の素晴らしい曲もたくさんあるかもしれないが、とりあえず水準以上と思われるものを一挙に8曲掲載してみた。
ティーン・ポップス好きの人には夢のような時間を過ごしていただきたいと思う。

Billy Storm “Puppy Love Is Here To Stay”, 1962


Donny “Marchand I Confess”, 1961


Jack Dailey “Little Charmer”,


Jimmy Jordan “Tick Tock”, 1963


Joey Trenay “This I Declare”,


Ronnie Height “So Young, So Wise”, 1959


Sonny Sinbad “Emily”, 1960


Tommy Reed “I Don't Want A Dream”, 1962

The Georgettes“Oh Tonight”1957

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GEORGETTES.jpg曲が似ているというわけでもないのに、なんとなく ヴェルべッツ(The Velvets)の“夢のお月様(Tonight Could Be The Night, 1961)”を連想してしまうのが The Georgettes の“Oh Tonight”。タイトルが同じ“Tonight”だからだろうか。
インパクトにはちょっと弱いが曲の作りが整っており日本でヒットしてもおかしくないものだ。ヴェルヴェッツの方は日本で大ヒットしたが、こちらはまったくヒットした形跡はない。
今回は、こんな無名のガール・グループを採り上げてみた。

The Bermudas.pngThe Georgettes(ジョージエッツ)というガール・グループは、Ricky(Rickie) Page と姉妹の Rebecca、Joanna や、娘の Sheila らによって結成されたが、主役はRickie という女性である。
彼女の夫は、レコード・プロデュサー、ソングライター、レコーディーング・エンジニアの George Motola(1919‐91)という人物であった。
Motola について詳しく書くつもりはないが、彼の最も有名な作品は Jesse Belvin の “Goodnight My Love, 1956”で、続いて The McGuire Sisters (1957)、The Shields(1958)、Ray Peterson (1959)、The Fleetwoods(1963)、Ben E. King (1966) らの作品を手がけ、Rickie Page とともに Eddie Cochran のレコーディング・セッションに参加したことは有名。
一方 Rickie は、The Jordanaires、The Spectors Three、Bobby 'Boris' Pickett らのメンバーとなって活躍した。

The Georgettes というグループ名は、George Motola に由来しており、1957年に "Love Like A Fool"/ "Oh Tonight" を Ebb(レーベル)でリリースし、英国のLONDON(レーベル)でも発売された。
The Georgettes は、The Bermudas、The Majorettes、Joanne & The Triangles、Beverly & the Motorscooters などのグループ名を用いており、メンバーも含め活動内容によって使い分けていた。
彼女はまた、夫の George Motola ともに1964年、Troy Recordsを立ち上げ、Rebecca Page をフィーチャーした Becky & the Lollipops というグループから“My Boyfriend”を発表した。

The Georgettes
Love Like A Fool / Oh Tonight Ebb125,London HL8548 Dec 1957
Over You / Yes, Oh Yes Challenge59012, Jackpot48001 Jun 1958
Down By The River / A Pair Of Eyes Fleet Intl 1111, United Artists237 Apr/Jul 1960
Forget Me Not / How Do I Know Goldisc3006 Jun 1960
Be My Baby Hit83 Oct 1963

The Majorettes
White Levi's / Plese Come Back Tory1000 1964

The Bermudas
Donnie / Chu Sen Ling Era3125 1964.
Blue Dreamer / Seing is Believing Era3133 1964

Becky & the Lollipops
My Boyfriend / I Don't Care EPIC9736 1964

The Georgettes “Oh Tonight”1957


The Bermudas “Seeing Is Beliving”1964

Candy Sparling / Sally Green“When's He Gonna Kiss Me”1962

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オールディーズぽさとは何なんだろうか? それはタワイなくて、安っぽくて、けっして上品なものではないのだけれど、カッコよさやらドン臭さやらが共存していて、ちょっぴり懐しくって、おセンチな愉しみと言ったらヘンだろうか…などと書いてみるものの、何のことやらサッパリわからんことになってしまう。
わかる人にはわかるのだけど、やはり言葉にするには向かない感覚なのか、いや、言葉にできるのか、あるいは、その必要があるのかといった按配になってくる。

それはともかく、まずそのオールディーズぽい曲を聴いていただこう。まったくヒットしなかったのだけれど、オールディーズ好きには堪らない雰囲気を持つ2曲である。
実は紹介しようにもほとんどデータがなく、いや、データはあるのかもしれないが、見つけることができなかったものである。
  
それから、もうひとつ疑問がある。それは、今の若い人はこういったオールディーズっぽい曲を聴いて何と思うのだろうか? 若いといっても、オールディーズ曲を少しは耳にすることのできる人たちではなく、例えばヒット曲にはじめて興味を持とうとする年頃、ちょうど中学生くらいの年頃の少年少女に訊いてみたい。

少し補足をすると、自分が初めて興味をもって音楽を聴くようになったのは中学生の頃で、洋楽ヒットパレードものだけれど、大人になっても1950年代から60年代のアメリカン・ポップスから抜け出せず、むしろマニアックになっていく自分に気づくのだ。
つまり、自分が初めて聴いた音楽に今でも興味を持っていて、その後の音楽にまったく関心が持てないでいるのだ。これは、一体どういうことなのだろう?

~~~~~~~~~~~~

さて、YouTubeからアップした2曲、どちらがオリジナルなのかよくわからないが、たぶん Candy Sparling の方だろうか。
Candy Sparling、Sally Green ともにイギリスの歌手らしい。Candy Sparling の方が若干有名で、Teen Doo Wop Collection Vol.61 や、Here Come The Girls Vol.8 のコンピCDに曲が収録されている。一方、Sally Green の方はシングル盤一枚を発表しただけでまったく忘れられた存在のようだ。
    
Candy Sparling  
When's He Gonna Kiss Me / Lonely For You Piccadilly 7N.35046 Apr.1962
Can You Keep A Secret? / Charm Bracelet Piccadilly 7N.35096 Jan.1963

Sally Green
It Hurts Too Much To Laugh / When's He Gonna Kiss Me Philips PB.1243 1962

Candy Sparling“When's He Gonna Kiss Me”1962


Sally Green“When's He Gonna Kiss Me”1962

Chuck Miller“The House Of Blue Lights”1955

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chuck miller.pngこんな曲をアップすると「ヒットしたけれど、忘れられてしまった名曲」とでもブログ・タイトルを変えなければならなくなる。

この曲は多くのミュージシャンが採り上げている。おもなところを挙げてみると、
最初にこの曲を歌ったのは、Ella Mae Morse という白人女性歌手で、Don Ray、Freddie Slack & His Orchestra の演奏で1945年に発表、ビルボート・ポップ・チャート 8位を記録した。なお Don Ray と Freddie Slack はこの曲の作者である。
翌1946年には The Andrews Sisters が歌ってヒットさせた。ビルボード・ポップ・チャートは 15位。
1952年には、Merril Moore が、- C&W(カントリー&ウエスタン)と言うか、もうRockabilly(ロカビリー)なのだが - 演奏し歌っている。この歌手の LPレコードを持っているが、“Red Light, 1956”がカッコよくて、よく聴いていた。
次は、今回採り上げた Chuck Miller で、当時 FEN のジム・ピューター・ショウ(Jim Pewtwr Show)でイヤというほどよく聴いた。それでも、私には Chuck Miller 版が一番カッコよく聴こえる。
その後、Chuck Berry、Jerry Lee Lewis、Freddy Cannon らによって演奏され歌われた。
なお、Eddie Costa の有名なジャズ・トリオ演奏“The House Of Blue Lights, 1959”は同名異曲である。

chuck millerChuck Miller について簡単に触れておこう。本名は Charles Nelson "Chuck" Miller (30 August 1924 - 15 January 2000)と言い、カンザス州のウェリントン(Wellington, Kansas)で生まれた。子ども時代にピアノを習い、40年代中頃からロサンゼルス地区でピアノ・トリオを組んで演奏活動を行っていた。
1953年になると、キャピトル(Capitol Records)で歌の初録音を行った。当初は、ディーン・マーチン(Dean Martin)やビング・クロスビー(Bing Crosby)のようなポップスやノヴェルティ・ソングなどを歌ったが、のちにヒルビリー(hillbilly)やブギウギ(boogie woogie)のような活発な歌を吹き込んだ。
1955年にマーキュリー(Mercury Records)に移籍し、“The House Of Blue Lights”を吹き込んだ。この曲は大当たりし、ビルボード・ポップ・チャートの 9位に輝いた。
その後、1958年頃まで多くの曲を発表したが、“The House Of Blue Lights”を超える成功は得られなかった。
その後、60年代になるとアラスカなどに移り、2000年にハワイで死去した。75歳だった。

ところで、Chuck Miller をネットで調べていたら、昭和28年(1953)に江利チエミが渡米して“GOMENNASA”と“PRETTY EYED BABY”を録音、演奏はチャック・ミラー・トリオとなっており、さらにチャック・ミラーとはデュエットを行い、その歌と演奏は米国で発売されたという記述があった。レーベルはキャピタルではなく Federal なのだが、本当のことなのだろうか? チャック・ミラーによく似た人物と江利チエミが仲良さそうにしている写真もあるのだが…。ご存知の方は教えてください。

最後にブギ・ウギ(boogie woogie)について少し書いておこう。
ブギ・ウギと言っても、笠置シズ子の「買い物ブギ」ではなく、ブルースとしてのブギ・ウギで、若い頃から強い関心を持って聴いていた。
ブギ・ウギの発祥はおそらく1910~20年頃で、ブルース・ピアニストのカウ・カウ・ダヴェンポート(Cow Cow Davenport)やジミー・ヤンシー(Jimmy Yancy)らによって変則的な8ビート奏法が考案されたが、きちんと録音されて残っているのはカウ・カウ・ダヴェンポートの“Cow Cow Blues, 1928”やパイン・トップ・スミス(Pine Top Smith)の“Pine Top Blues, 1928”あたりからだろうか。
その後、ブギ・ウギはミード・ラクス・ルイス(Meade Lux Lewis)、アルバート・アモンズ(Albert Ammons)。ピート・ジョンソン(Pete Johnson)のブギ・ウギ・トリオによって一大ブームとなった。1938~39年のことである。
それから1940年代から50年代前半にかけて、女性ブギ・ピアニストの全盛を迎えることになる。すなわち、Cleo Brown、Hadda Brooks、Camille Howerd、Dorothy Donegan、Mary Lou Williams らが活躍、ジャンプ・ブルース(Jump Blues)あるいはリズム&ブルース(R&B)に華やかな彩りを添えた。
この辺の女性ブギ・ピアニストについては、いずれこのブログで採り上げてみたいと思っている。

Chuck Miller(Discography)
Am I To Blame / Count Your Blessings (One By One) Capitol F2613 1953/Oct.
After All / Pucket-Nut Tree Capitol F2700 1954/Feb.
Idaho Red / The Joker (In The Card Game Of Life) Capitol F2766 1954/Apr.
Hopahoola Boogie / I'll Know My Love (By The Way She Talks) Capitol F2841 1954/June
The House Of Blue Lights / Can't Help Wonderin' Mercury 70627-x45 1955/May
No Baby Like You / Rouge River Valley Capitol F3187 1955/July
Hawkeye / Something To Live For Mercury 70697X45 1955/Sept.
Boogie Blues / Lookout Mountain Mercury 70767x45 1955/Dec.
Bright Red Convertible / Baltimore Jones Mercury 70842X45 1956/Apr.
Cool It Baby! / Vim Vam Vamoose Mercury 70942X45 1956/Sept. 1
The Auctioneer / Baby Doll Mercury 71001X45 1956/Dec.
Good Mornin' Darlin' (It's Time To Say Goodnight) / My Head's In The Barrel Mercury 71056X45 1957/Mar.
Bye, Bye, Love / Rang Tang Ding Dong Mercury 71118X45 1957/May 27
Plaything / After Yesterday Mercury 71173X45 1957/Aug.
Down The Road A-Piece / Mad About Her Blues Mercury 71308X45 1958/May 26

Chuck Miller“The House Of Blue Lights”1955


Ella Mae Morse“The House Of Blue Lights”1945


Merrill Moore“The House Of Blue Lights”1952

The G-Notes“Ronnie(My Teen-Age Dream)”1958

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先日“The Georgettes”について書いたとき、Rickie Pageと夫・George Motolaについて触れたが、今回はその夫婦が手がけたガール・グループ、実際にはデュエットではあるが、The G-Notesを採り上げてみよう。

このデュエットについて知られていることはほとんどなく、わかっていることは Linda(11歳)と Nancy(9歳)の Gino姉妹(じつは 3姉妹で 5歳の妹がいる)と、父親の名前が Sam Ginoであることくらいだろうか。

最初のシングル盤の A面“I Would”を聴くと、まるで子ども合唱団の歌みたいに聴こえるけど、B面の“Ronnie”はまったく違い、素晴らしい出来だ。とくに情感たっぷりに語られるセリフはとても子どもとは思えないものだ。

次のシングル盤はちょっとしたイワく付きの曲となった。1957年のことだろうと思うが、Rickie Pageと George Motolaは The Georgettesのために“Johnny Johnny Johnny”を作ったが歌われなかった。理由は不明である。そこでアマチュア・ショウで見つけてきた The G-Notesに歌わせることとなった。レコーディング・セッションでは、エディ・コクラン(Eddie Cochran)がギターを弾いたのだが、コクランはこの曲をすっかり気に入ってしまい、自らがレコーディングすることを望んだ。
これによって、エディ・コクランの“Jeannie Jeannie Jeannie”(1958年1月)が誕生した。しかし、ビルボード・ヒット・チャートは 94位までしか上がず、しかし、イギリスの London Recordsで出したシングル盤は1961年に 30位まで上がった。その後、この曲は幾多のロック・グループによって歌われ演奏されている。
ところで、The G-Notes の“Johnny Johnny Johnny”は1959年(月は不明)になって発売された。もちろんヒットした形跡はなく、その後 3枚目を吹き込んだという記録もない。

The G-Notes
I Would / Ronnie(My teen-Age Dream) tender 510,Jackpot 48000 1958

The G.Notesとして
Johnny Johnny Johnny / Broken Down Merry Go Round Guyden 2012 1959

The G-Notes“Ronnie(My Teen-Age Dream)”1958


The G.Notes“Johnny Johnny Johnny / Broken Down Merry Go Round”1959


Eddie Cochran“Jeannie Jeannie Jeannie”1958

The Shirelles の「ヒットしなかったけれど、ちょっといい曲」

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Shirelles1.jpg日本では圧倒的にスプリームス(The Supremes)の人気が高く、黒人系ガールグループの代表的な存在だった。それはダイアナ・ロス(Diana Ross)の人気であり、歌唱力がずば抜けて素晴らしかったからだろう。しかし本国アメリカでの人気は、もしかしたらシュレルズ(The Shirelles)の方が勝っていたのではないだろうか。
ヒット曲の多さではスプリームスの方に軍配が上がるが、ヒットを放った時期が 2~3年早く、全米で初めて成功した黒人系ガールグループとしてのインパクトは大きかったはずだ。それに、歌の巧さはそれほどではなかったけれど、優しく温か味のある歌声には定評があった。

さて、シュレルズについて書く前に、1960年代前半の、アメリカ本国で一大ブームとなったガールグループ旋風について触れておこう。
もともと黒人系ドゥーワップ(Doo Wop)グループは圧倒的に男性が多く、1950年代の女性グループには The Delltones、The Queens、The Dreamers、The Joytones、The Hearts、The Cookies、The Queentones、The Chantels、The Bobbettes、The Clickettes、The Deltairsなど思いつく限り挙げてみてもこの程度しかいない(いや、探してみれば、まだまだいるのだろうけれど)。
ところが、50年代末から60年代初めにかけて、ドゥーワップ・ブームが下降線を辿る頃になると、黒人系のガールグループが台頭しはじめた。それは、ちょうど公民権運動の隆盛の時期と一致し、女権拡大の機運が起こった頃だった。
黒人女性グループの台頭は、50年代から活躍している上記先発組とともに、50年代末から60年代初めにかけて結成された本命組が合流し、ガール・グループの黄金時代を築くに至った。
本命組とは、冒頭のスプリームス(59年結成)をはじめ、今回記事の主役であるシュレルズ(57年結成)、1961年に結成されたマーヴェレッツ(The Marvelettes)、ロネッツ(The Ronettes)、クリスタルズ(The Crystals)、オーロンズ(The Orlons)、62年結成のシフォンズ(The Chiffons)らがおり、さらに The Ikettes、The Royalettes、The Dixie Cups、The Toys、The Jelly Beansらの後発組が続き、1960年代前半のアメリカン・ポップ・シーンを華やかに彩った。
しかし、1960年代前半、ビートルズ(The Beatles)やローリングストーンズ(The Rolling Stones)の登場は、60年代中期以降のアメリカン・ヒットソングの潮流を大きく変えていくことになった。同時に、黒人系ガールグループもリズム・アンド・ブルース(Rhythm & Blues)~ポップス(Pops)からソウル・ミュージック(Soul Music)~ディスコ(Disco Music)へと次第に変化していった。

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shirelles2.jpgシュレルズ(The Shirelles)は、1957年ニュージャージー州パサイック(Passaic)で結成された。高校の級友ばかりで、1968年以降に4人から3人に変わった以外メンバーはずっと同じだった。これは長命グループとしては珍しい。
メンバーの名前を記しておくと、ほとんどの曲でリードをとったのが Shirley Owens(Shirley Alston-Reeves)(1941/6/10~)で、他に Doris Coley Kenner(1941/8/2~2000/2/4)、Beverley Lee(1941/8/3~)、Addie“Micki”Harris(1940/1/22~1982/1/10)がいた。すでに2人亡くなっている。
当初、The Poquellosと名乗っていたが、その後 The Honeytunesに変え、級友の母親が経営する Tiara Recordsに吹き込んだ。その級友の母親とは Florence Greenbergで、後に Scepter Recordsを設立することになる。
Tiaraで“I Met Him On A Sunday / I Want You To Be My Boyfriend”を吹き込んだ頃には Shirleyの名前に由来するグループ名、The Shirellesに変えていた。
“I Met Him On A Sunday / I Want You To Be My Boyfriend”の版権を Decca Recordsに譲渡することにより、シュレルズは全国的にデビューを果たすことになったのである。“I Met Him On A Sunday”は1958年4月にビルボード・ヒットチャート49位を記録した。
上々のスタートを切った彼女らであるが、その後ヒットを得られず、Deccaとの契約は打ち切られ、Scepter Recordsに移籍することとなった。

Scepterでは、プロデューサー兼ソングライターの Luther Dixonと組みヒット曲を量産、快進撃を続けた。Scepterを離れる1966年までに、全米ヒットチャート20位以内のヒットを 7曲放ったことになり、とくに “Will You Still Love Me Tomorrow”が全米第1位に輝いたことは、黒人系ガールグループでは初の快挙となった。この曲は Gerry Goffinと Carole Kingの作品として有名。
その7曲を記しておくと、
“Dedicated To The One I Love(愛する貴方に)”全米ヒットチャート 83位(59/7)3位(61/1)
“Will You Still Love Me Tomorrow”全米ヒットチャート 1位(60/11)
“Mama Said(ママのご意見)”全米ヒットチャート 4位(61/4)
“Baby,It's You”全米ヒットチャート 8位(61/12)
“Soldier Boy”全米ヒットチャート 1位(62/3)
“Everybody Loves A Lover”全米ヒットチャート 19位(62/12)
“Foolish Little Girl(お馬鹿な可愛子ちゃん)”全米ヒットチャート 4位(63/3)
といった具合である。
シュレルズのヒット曲のほとんどは Scepterで放ったもので、26曲が100位以内にチャートインした。たぶん黒人系ガールグループではスプリームスに次ぐヒットメーカーと思われる。そして、この間に、多くのレコーディング・セッションや、有名アーティストとともにコンサート・ツアーに参加し、また、テレビや映画などでも活躍した。

シュレルズは、たぶん70年代中頃くらいまで音楽活動を続けていたと思われる。もしかしたらリバイバル・ショーに今だ出演しているかもしれない。しかし、60年代中頃以降のシュレルズはかっての勢いを失っていた。
ただ、ひとつだけ特筆すべきことは、長年の音楽活動の功績を認められて、1996年にロックの殿堂入りを果たしたことである。

The Shirelles の Discography
Singles
I Met Him On A Sunday / I Want You To Be My Boyfriend(Tiara-6112)(Decca-30588)1958/2
My Love Is A Charm / Slop Time(Decca-30669)1958
I Got The Massage / Stop Me(Decca-30761)1958
Dedicated To The One I Love / Look a here baby(Scepter-1203)1959/8,1961
A Teardrop And A Lollypop / Don't The Ronie(Scepter-1205)1959
I Saw A Tear / Please Be My Boyfriend(Scepter-1207)1960
Tonight's The Night / The Dance Is Over(Scepter-1208)1960.10
Will You Still Love Me Tomorrow / Boys(Scepter-1211)1960,1961/1
I Met Him On A Sunday / My Love Is A Charm(Decca-25506)1961
Mama Said / Blue Holiday(Scepter-1217)1961
A Thing Of The Past / What A Sweet Thing That Was(Scepter-1220)1961
Big John / Twenty One(Scepter-1223)1961
Baby, It's You / The Things I Want To Hear (Pretty Words)(Scepter-1227)1962/1
Soldier Boy / Love Is A Swingin' Thing(Scepter-1228)1962/5
Welcome Home Baby / Mama, Here Comes The Bridge(Scepter-1234)1962/7
Stop The Music / It's Love That Really Counts(Scepter-1237)1962/10
Everybody Loves A Lover / I Don't Think So(Scepter-1243)1963/1
Foolish Little Girl / Not For All The Money In The World(Scepter-1248)1963/4
Don't Say Goodnight And Mean Goodbye / Didn't Mean To Hurt You(Scepter-1255)1963/4
What Does A Girl Do / Don't Let It Happen To You(Scepter-1259)1963
It's A Mad Mad Mad World / 31 Flavors(Scepter-1260)1963
Tonight You're Gonna Fall In Love With Me / 20th Century Rock And Roll(Scepter-1264)1963
Sha-La-La / His Lips Get In The Way(Scepter-1267)1964
Thank You Baby / Dooms Day(Scepter-1278)1964
Maybe Tonight / Lost Love(Scepter-1284)1964
I Saw A Tear / Are You Still My Baby(Scepter-1292)1964
Shh, I'm Watching The Movies / A Plus B(Scepter-1296)1965
Let's Swing The Jingle For Coca-Cola(issued to radio stations only - Coca-Cola radio spot))1965
March (You'll Be Sorry) / Everybody's Goin' Mad(Scepter-12101)1965
Love That Man / My Heart Belongs To You(Scepter-12114)1965
(Mama) My Soldier Boy Is Coming Home・/ Soldier Boy(Scepter-12123)1965
I Met Him On A Sunday '66 / Love That Man(Scepter-12132)1965
Till My Baby Come Home / Que Sera Sera(Scepter-12150)1966
Shades Of Blue / After Midnight(Scepter-12162)1966
Shades Of Blue / Looking Around(Scepter-12162)1966
Teasin' Me / Look away(Scepter-12178)1966
Don't Go Home (My Little Baby) / Nobody Baby After You(Scepter-12185)1967
Too Much Of A Good Thing / Bright Shiny Colors(Scepter-12192)1967
Last Minute Miracle / No Doubt About It(Scepter-12198)1967
(以下省略)

Albums
Tonight's The Night(Scepter S-501)1961
The Shirelles Sing To Trumpets And Strings(Scepter LP-502)1961
Baby It's You(Scepter LP-504)1962
A Shirelles And King Curtis Give A Twist Party(Scepter LP-505)1962
Foolish Little Girl(Scepter LP-511)1963
It's A Mad Mad Mad World(Scepter LP-514)1963
The Shirelles Sing Golden Oldies(Scepter LP-516)1965
The Shirelles - Spontaneous Combustion(Scepter ST92187)1967
(以下省略)

じつは紹介する曲を5曲だけピックアップしようと考えていた。いろいろ聴き比べているとどうしても外せない気分になり、結局10曲になってしまった。それでもまだ10曲以上の甲乙つけがたい曲が残った。
これらの選曲はヒットしたものではなく、不発に終わったシングル曲、シングル・カットされなかった曲、はたまた未発表曲である。
これらの曲の並び順は、曲の素晴らしさとか好きな曲とかのランキングではなく任意に並べたものであることを申し上げておきたい。

Teardrop And A Lollypop, 1959
シングル盤(Scepter 1205)の A面。やや荒削りだけど、彼女らの才能をうかがわせる佳曲。


You're Under Arrest(1985)
CD盤“Lost & Find“からの未発表曲。哀愁のこもったなかなかの曲。未発表が信じられない。


I Dont Want To Cry, 1961
LP盤“The Shirelles Sing To Trumpet And Strings”に収録。シングルカットされなかったが、ヒットしてもおかしくないような出来。


I Saw A Tear, 1960
シングル盤(Scepter 1207,1292)の A面。ちょっぴり切なくて素敵な曲。


Plese Be My Boyfriend, 1960
シングル盤(Scepter 1207)の B面。ちょっぴり古臭いスタイル・演奏だが、こういう曲はたまらない。


Rainbow Valley, 1961
LP盤“The Shirelles Sing To Trumpet And Strings”に収録。シャーリーの悲しげで、何かを慈しむような歌い方は印象的。曲が途中で途切れるような演出も効果的だ。


The Twitch, 1963
LP盤“Foolish Little Girl”に収録。当時流行っていたダンス曲を意識してヒットを狙ったものだろうが不発だったようだ。こういった曲は、1963年にはちょっと遅かったかも。


Blue Holiday, 1961
シングル盤(Scepter 1217)のB面。クリスマス・ソングのようだが、素晴らしい出来で、この熱唱ぶりは第一級のレディ・ソウルだ。


Go Tell Her(1987)
CD盤“Lost & Find“からの未発表曲。これもシュレルズ節の素晴らしい曲だ。


My Love Is A Charm, 1958
シングル盤(Decca 30669,25506)のA面。2枚目のシングルで、初々しい歌い方やナレーションに好感が持てる。


Johnny Cymbal“Sacred Lovers Vow”1963

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c05244001.jpgジョニー・シンバル(Johnny Cymbal)の「美しき恋の誓い(Sacred Lovers Vow, 1963)」は懐かしい。大ヒットした「ミスター・ベースマン(Mr. Bass Man, 1963)」のB面で、A面とともにイヤという程聴いた曲だが、私にとっては格別の思い出深い曲だ。
この曲は、中学生時代の友人M君のオーディオ試聴曲だった。当時のオーディオはアンプの出力や低音の響きなどを競い合っていたような時代で、この「美しき恋の誓い」は案外と言うか、意外と低音が効いていたため繰り返し何度もかけていた。部屋の外で聴いていると「ズーン、ズーン」と低音が響きわたったものだ。
そんな訳で、今回はジョニー・シンバルを採り上げてみた。

ジョニー・シンバルは、本名を John Hendry Blairと言い、1945年2月3日、スコットランド・オーチャイルトリー (Ochiltree)に生まれた。
7歳の時、一家はカナダ・トロントに移住。12歳で父からギターを買ってもらったことがきっかけとなって将来音楽の道を志すことになった。
15歳の時、アメリカ・オハイオ州のクリーブランドに移住。この地で参加した音楽コンテストで認められ、1960年にMGMレコードで“Always, Always”を吹き込みデビューを果たした。続いて“Bunny( いとしのバニー)もリリースしたが、いずれもヒットには至らなかった。
1962年、高校を卒業した彼は、Kapp Records(キャップ)に移籍、ここで第一弾「ミスター・ベース・マン(Mr.Bass Man)」を発表。この曲はドゥー・ワップ・グループのヴァレンタインズ(The Valentines)などのベース・シンガー、ロニー・ブライト(Ronnie Bright)との見事な掛け合いが受け、全米ポップ・チャート16位を記録した。また、この曲は、The Andrews Sistersや Lou Christie(“Mr. Tenor Man”として)もカヴァーした。
日本では、もちろんジョニー・シンバルの歌も大ヒットしたが、ダニー飯田とパラダイスキング(九重佑三子&佐野修)のカヴァー盤も大いに売れた。
その後 “Teenage Heaven”( 全米ポップ・チャート58位 )、“Dum Dum Dee Dum”(全米ポップ・チャート77位)を発表した。
またその頃、坂本九が歌ってヒットさせた「 明日があるさ(Pack Of Lies)」を英語でカヴァー版を出したりした。
その後、いくつかのレーベルを転々としたがヒット曲を放つことはできなかった。ところが、1968年に結成した 「デレク(Derek)」というトリオ・グループで“ Cinnamon”(全米ポップ・チャート11位)が久々のヒット、また“Back Door Man”( 全米ポップ・チャート59位 )もチャート・インした。
1972年に女性歌手ペギー・クリンガー(Peggy Clinger)とデュエットしたり、音楽プロデューサー、ソングライターなどの音楽活動を続けたが、1993年3月16日、テネシー州ナッシュビルで心臓発作のため死去、享年48歳だった。

アメリカでは全米トップテン入りを果たすことは出来なかったが、日本では「ミスター・ベースマン」や「僕のマシュマロちゃん(Marshmallow, 1963)」などのヒットで日本人に親しまれたポップ・スターとなった。

Johnny Cymbal Discography
It'll Be Me / Always, Always MGM K12935 Aug.1960
The Water Was Red / Bunny(いとしのバニー) MGM K12978 Jan.1961
Mr. Bass Man / Sacred Lovers Vow(美しき恋の誓い) Kapp K-503X Jan.1963
Bachelor Man / Growing Up With You Vee Jay VJ 495 Feb.1963
Teenage Heaven / Cinderella Baby Kapp K-524X Apr.1963
Dum Dum Dee Dum / (Surfin' At) Tia Juana(恋のティアワナ) Kapp K-539X Jul.1963
Marshmallow(僕のマシュマロちゃん) / Hurdy Gurdy Man Kapp K-556 Oct.1963
There Goes A Bad Girl(噂のあの娘) / Refreshment Time(いかしたデート) Kapp K-576 Feb.1964
Robinson Crusoe On Mars / Mitsu(おみっちゃん) Kapp K-594 May1964
Connie(いとしきコニー) / Little Miss Lonely Kapp K-614 Sep.1964
16 Shades Of Blue / Cheat, Cheat Kapp K-634 Dec.1964
(以下省略)

Sacred Lovers Vow, 1963


Mr. Bass Man, 1963


Bunny, 1961


Marshmallow, 1963


Lillian Leach & The Mellows“My Darling”1956

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Lillian Leach & The Mellows 1.jpg1970年代後半、海外から輸入盤が続々と入ってくるようになった。わたし自身、とくにドゥーワップ(Doo Wop, 当時は、黒人コーラス・グループとか黒人ヴォーカル・グループとか呼んでいた)に目がなく、Relicや Lost Nite(現 Collectables)などの輸入盤を買い漁っては聴いていた。Relicの The Golden Groupsや The Golden Era of Doo-Wopsのシリーズには膨大な数のレアなグループが収録されており、まさに宝の山を眺めているような気分だった。

Lillian Leach & The Mellows 2.jpg今回はその中の一枚、The Golden Groups part 04 The Best of Celeste Records(Relic-5014)からリリアン・リーチとメロウズ(Lillian Leach & The Mellows)を採り上げてみた。

すでにスー・トンプソン(Sue Thompson)の記事の中でも書いたが、リスナーであるわたしは、とくに女性ヴォーカルの声そのものに魅了されることが多い。うまく言い表せないのだけれど、黒人女性の、とりわけ暖かくてまろやかでセクシーな声に惹かれる。そして、リリアン・リーチはそんな声の持ち主のひとりでもある。

The Mellowsは1954年にニューヨーク・ブロンクスで結成された。女性ヴォーカルをフィーチャーしたよくある構成で、リリアン・リーチ(Lillian Leach)をリードに、Johnny 'Tiny' Wilson 、Harold Johnson(2nd tenor, guitar)、Norman 'Polecat' Brown(bass)がメンバーとなった。その後、Arthur Crier、Gary Morrison がメンバーに加わり、また交代した。
1954年、Jay Dee(R&B界で勢力を持っていた Joe Davisが設立)で、How Sentimental Can I Be(54年8月)、Smoke From Your Cigarette(55年1月)、 Yesterday's Memories(55年8月)などをリリースしたが、いずれもローカル・ヒットに終わった。
1956年に Celeste Records(ブルックリン)に移籍したがここでもヒット曲に恵まれず Candlelight、Apolloと移り、1958年に解散したようだ。

メロウズは、当時、ニューヨーク・ブルックリン地区に発生した膨大な数のドゥーワップ・グループのひとつであり、多くのグループと同様にヒット曲を出せず消えていった。しかし、このグループはアカペラを得意としており、とくにリーチのヴォーカルに定評があったのは肯ける。

The Mellows
How Sentimental Can I Be / Nothin' To Do Jay Dee 793 1954
Smoke From Your Cigarette / Pretty Baby, What's Your Name Jay Dee 797 1955
I Was A Fool To Let You Go / I Still Care Jay Dee 801 1955
Yesterday's Memories / Lovable Lily Jay Dee 807 1955
Lucky Guy / My Darling Celeste 3002 1956
I'm Yours / Sweet Lorraine Celeste 3004 1956

I Call To You (a cappella) Celeste(Unreleased) 1956
You're Gone (a cappella) Celeste(Unreleased) 1956
Ain't She Got Nerve (a cappella) Celeste(Unreleased) 1956
When The Lights Go On Again (a cappella) Celeste(Unreleased) 1956
I'm Gonna Pick Your Teeth With An Ice Pick (a cappella) Celeste(Unreleased) 1956

Lillian Lee & The Mellows
You've Gone / Moon Of Silver CANDLELIGHT 1011 1956

Carl Spencer, backed by The Mellows
Farewell, Farewell, Farewell / No More Loneliness CANDLELIGH 1012 1957

So Strange Apollo(Unreleased) 1958
Be Mine Apollo(Unreleased) 1958

My Darling / Lucky Guy, 1956


Yesterday's Memories / Lovable Lily, 1955

The Debs“Whadaya Wants”1955

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debs foto.jpgもう50年以上も前の、あまりよく知られていないドゥーワップ(Doo Wop)グループを特定したり、同定したりすることは至難の業と言えるだろう。
たとえば何曲かが同じグループ名となっていれば、皆同じグループの曲になるかと言えば、必ずしもそうとは限らない。そのグループの曲なのか、別なグループの曲なのか、曲を聴いただけではわからない場合も多く、判別するのはちょっと厄介である。

つまり、膨大な数のドゥーワップ・グループには、、
(1)同じ名前のグループが思った以上にたくさんある
(2)グループ名を頻繁に変えていくグループもかなり多い
(3)メンバーの変更や交代は激しく、実態が極めて不確か
などの理由があり、特定や同定を困難にしてしまう場合が多い。

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the complete book of doo wop.jpgThe Complete Book Of Doo-Wop(A Gribin, M Schiff, 2000)によると、The Debsを6組別々のグループに掲載してある。そのすべてが女性グループで、白人か黒人かは不明である。もちろん、The Debsというグループはもっと多く存在している可能性はある。実際、YouTubeを閲覧すると新しいところでは何組もの The Debsが見つかる。
その6組の The Debsのディスコグラフィを以下に記す。

The Debs(1)(female)
Shoo Doo Be Doo / Whadaya Wants(Bruce 129)1955
If You Were Here Tonight / Look What You're Doin' To Me (Crown 153)1955

The Debs(2)(female)
Jonnie Darling / Doom-A-Roca(Keen 3-4003)1957

The Debs(3) with The Eacorts(female)
(We Like)Crew Cuts / Swingin' Sam(by The Pastels)(Josie 833)1958

The Debs(4)(female)
If Wishes Were Kisses / Mucha Cha(Echo 1008)1961
Just Another Fool / Danger Ahead(Double L 727)1963

The Debs(5)(female)
Dream Boat / The Mask(Infinity 035)1962

The Debs, Ty Robin & The(6)(female)
Plese Be Good To Me / I'm Not Sure(Rex 1010)1960

曲について少し補足をしておくと、
(1)“Whadaya Want”のオリジナルはThe Robins(1955)であるが、The Charms(1955)もカヴァーしている。
(2)“Shoo Doo Be Doo(My Loving Baby)”のオリジナルは、Bobby Lester & The Moonlighters(1954)で、The Moonglowsの別名義。
(3)The Debs(2)は、同名異グループだけれど、“Doom-A-Roca, 1957”はちょっと滑稽味のある面白い曲で、私はけっこう気に入っている(YouTube参照)。
(4)検索していると、上記同名異グループ6組の他にもまだいくつかのグループが存在するようだ。そのひとつで、明らかなドゥーワップ・グループでは、
Star In The Sky / Felipe(Squalor 1315),1962
が見つかるが正体不明。

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今回は、“Whadaya Want”(YouTube参照)を歌った The Debs(1)について記しておく。かなりレアなグループばかりらしく、他のThe Debsについてはほとんど情報を見つけることが出来なかった。

Joyce Webb 2.jpgThe Debs はテキサス州オースティン(Austin)出身の白人女性3人で結成されたグループで、Joyce Webb がリードを担当していた。
Joyce は子どもの頃から歌うのが好きで、ダンス・バンドで歌ったり、テレビのショー番組に出演していた。すでにその頃(1955年)、The Debsを率いて“Shoo Doo Be Doo / Whadaya Wants(Bruce 129)”と“If You Were Here Tonight / Look What You're Doin' To Me (Crown 153)”のシングル2枚をリリースしていた。
その後 Domino Recordsに入社すると、The Debs はバックアップ・ガールグループとして多くのレコーディング・セッションに参加した。とりわけ The Slades(The Spades)の“You Cheated(You Lied), 1958(邦題:うそつき女)”(全米42位)(Youtube参照)のレコーディングに参加したことが知られている。
ところで、“You Cheated”を大ヒットさせたのは The Shields(全米12位)という黒人ドゥーワップ・グループの方で、白人グループを黒人グループがカヴァーしてヒットさせた例は珍しい。(黒人のオリジナルを白人がカヴァーしてヒットさせた例はゴマンとあったが、このような例を他に知らない)
また余談となるが、同じ Joyceつながりで言えば、Joyce Harrisという白人女性歌手が“You Cheated”のアンサー・ソング“I Cheated, 1959”をやはり Domino Records からリリースしている。
1958年、バックアップ・セッションのみならず、Joyce自身は Dominoでレコーディングを行い、逆に The Sladesがバックアップを受け持った。

Joyce Webb & The Slades
Right Here / After You've Gone(Youtube参照) (Domino 300/400)1958

Joyce Webb
Ain't That Just Like A Man / I Don't Care(Domino 600)1958

(Joye Webb は60~70年代にかけても音楽界で活躍したが、詳細については省略する)


The Debs(1)“Whadaya Wants”1955


Joyce Webb & The Slades“After You've Gone” 1958


The Slades“You Cheated”1958


The Debs(2)“Doom-A-Roca”1957


Roberta Shore“Love At First Sight”1959

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6ob119v1ro3po61o.jpg米国の女優兼歌手アネット・ファニセロ(Annette Funicello)の訃報に接した。亡くなったのは4月8日だそうで、享年70とのこと。元祖ディズニー・アイドルであり、いくつかのディズニー映画や多数のヒット曲で楽しませてもらった。いずれこのブログでも彼女のあまり知られていない曲など紹介したいと考えているが、今回は、その彼女と映画「ぼくはむく犬(The Shaggy Dog,1959)」でライバルを演じたロバータ・ショア(Roberta Shore)を採りあげてみた。

ロバータ・ショアは、美人というよりも可愛いタイプの女優さんで、当時日本で人気のあった、また歌手としても実績のあった、たとえばヘイリー・ミルズ(Hayley Mills, 英)とか、サンドラ・ディー(Sandra Dee, 米)、コニー・スティーヴンス(Connie Stevens. 米)、カトリーヌ・スパーク(Catherine Spaak, 仏)らと似た存在であった。しかし上記女優らに比べて日本ではほとんど無名だった。

ロバータ・ショアは、アメリカの1950~60年代初期に活躍した女優・テレビ・タレントである。本名を Roberta Jymme Schouropといい、1943年4月7日、カルフォルニア州モンタレー・パークに生まれた。
彼女についてもう少し詳しく触れようと思ったが、ネットで調べた限りでは彼女の芸歴を記述したものばかりで、歌手しての記事はほとんどなかった。そのため、主な出演映画や出演テレビをまとめてリストアップにしておくにとどめたい。

主な出演映画
避暑地の出来事 / A Summer Place, 1959
ボクはむく犬 / The Shaggy Dog, 1959
ゆきすぎた遊び / Blue Denim, 1959
これがあなたのディズニーランド / Gala Day at Disneyland, 1960
Because They're Young, 1960
逢う時はいつも他人 / Strangers When We Meet, 1960
Bachelor in Paradise, 1961
明日なき十代 / The Young Savages, 1961
ロリータ / Lolita, 1962

主な出演テレビ
(レギュラー出演)
The Bob Cummings Show (1961) as Henrietta "Hank" Gogerty
The Virginian (1962) as Betsy Garth
(ゲスト出演)
The Jack Benny Program (1950)
・NBC Premiere as Herself
The Adventures of Ozzie & Harriet (1952)
・Rick and the Maid of Honor as Roberta
・The High Cost of Dating as Roberta
・The Girl Who Loses Things as Joyce
・A Sweater for Rick as Joyce
General Electric Theater (1953)
・The Wish Book as Ellie Beckett
Zane Grey Theatre (1956)
・The Long Shadow as Laurie
Playhouse 90 (1956)
・Sizeman and Son as Jennie
Wagon Train (1957)
・The Sam Elder Story as Millie Allen
Maverick (1957)
・RoyalFour Flush as Judy Mason
Lawman (1958)
・Owny O'Reilly, Esquire as Millie Cotton aka Millie Johnson
The Dick Clark Show (1958)
・Paul Anka / Bobby Rydell / Neil Sedaka / Roberta Shore
The Donna Reed Show (1958)
・Do You Trust Your Chikd? as Nancy
・The Secret as Carol
Laramie (1959)
・The Replacement as Sharon Halleck
The Many Loves of Dobie Gillis (1959)
・That's Show Biz as Clothilde Ellingboe
The Tall Man (1960)
・The Runaway Groom as guest star

ディスコグラフィー
Robaerta Shore
Happy Music / Love at First Sight(Buena Vista F340)1959
Love At First Sight / Take Me Along(Buena Vista F348)1959

Roberta Shore And Shaggy Dog
Shaggy Dog/C'est Chiffon (C'est Si Bon)(Disneyland WD-11
(US = 123))1959

Roberta Shore with David May Rhythm Group and The Graduates
I L-o-v-e You / There Be Peace On Earth(Rex RS-029)1960

Roberta Shore
A Teen Age Prayer/What Else Can I Do(16189)1961
Rock and Roll Yodeling Guy(アルプスのヨーデル娘)/Yum Yum Cha Cha(Dot 16266)1961

Robin Luke with Roberta
Shore Foggin' Up The ows/Wound Time(Dot 16366)1962

Roberta Shore“Love At First Sight”1959(レコード映像)
http://youtu.be/ta7KTsNGq-Y

“Love At First Sight”1959(テレビ放映映像)


Roberta Shore“A Teenage Prayer”1961
この曲をカヴァーした女性歌手を10人くらい聴いているが、彼女の歌はストレートな歌い方だけど、けっこうお気に入りの一枚。


Roberta Shore “Pink Shoelaces”1959
ローレンス・ウェルク・ショー(The Lawrence Welk Show)でのテレビ放映映像。男性歌手はRocky Rockwell、女性バックアップ・コーラスはレノン・シスターズ(The Lennon Sisters)。曲はお馴染みのドディ・ステーヴンス(Doddie Stevens)の大ヒット曲“ピンク・シューレイス”。


Robin Luke and Roberta Shore“Foggin' Up The Windows”1962
ロビン・ルーク(Robin Luke)との唯一のデュエット。なお、ロビン・ルークについては本ブログを参照してください。

The T-Bones“Pearlin'”1964

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dfde2801-cb6e-431c-ac27-809c3e23765f-0.jpg毎年この時期(初夏)になると聴きたくなるのがサーフ・インスト。行ったことも観たこともないのに、なぜか60年代のカルフォルニアの青い海を想起してウットリする。そして、ホット・ロッド、ドラッグなどのカー・レースをテーマとしたインスト曲にも興奮したり。
以前マーケッツ(The Marketts)について書いたが、今回はその弟分であるTボーンズ(The T-Bones)を採り上げてみた。じつはその中間にルーターズ(The Routers)という次兄がいて、3兄弟を形成している。これは、ジョー・サラセーノ(Joe Saraceno)が全面的に作・編曲、プロデュースをして売ったグループだからである(ただし、Tボーンズの初期のプロデューサーは Dave Pell)。もちろんサラセーノはこの3グループ以外にもいくつかのインスト・グループ、ヴォーカル・グループを手がけた。たとえばアストロノーツ(The Astronauts)、パーシー・フェイス楽団(Percy Faith Orch.)、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)、リンク・レイ(Link Wray)、それから一時期のヴェンチャーズ(The Ventures)などなど。

この3兄弟が素晴らしいのは、バックグラウンド・ミュージックとして最高の音楽環境を演出してくれることだ。
マーケッツには「アウト・オブ・リミッツ(Out Of Limits, 1963)」や「バットマン(Batman Theme, 1966)」、ルーターズには「レッツ・ゴー(Let's Go (Pony), 1962)、T‐ボーンズでは「ビートでOK(No Matter What Shape, 1965)」や「真っ赤な太陽(Sippin''n Chippin', 1966)」などの日本でもお馴染みの大ヒット曲がある。しかし、それらの曲は少々子どもっぽい作りで、すぐあきてしまい、私はあまり好きになれない。
ところが他の多くの曲は、地味であるけれど、Jazzyでカッコよい演奏で、この3兄弟の持ち味となっている。その持ち味とは、じつはスタジオ・ミュージシャンの安定感のあるリラックスした職人技から生み出された演奏なのである。

T-Bones2.jpgTボーンズには一応メンバーがいて、日本のシングル盤にはそのメンバーの写真が印刷されている。しかし、彼らはプロモーション用に集められた影武者で、実際にレコーディングしたのはプロのスタジオ・ミュージシャンであった。このことはマーケッツもルーターズも共通している。

51PM7DKA5SL__SL500_AA300_.jpgここで、鶴岡雄二著「急がば廻れ'99」(音楽之友社、2002)から少々長いけれど引用しておこう。

まず、Tボーンズがいかに下手なバンドで、実際はスタジオ・ミュージシャンによってレコーディングされていたかについて。
「 一九六七年のことだったと記憶している。アメリカのインストゥルメンタル・グループ、Tボーンズが来日した。一九六六年に録音した<シッピン・チッピン>(邦題「真っ赤な太陽」)が、アメリカでは売れなかったが、日本ではヒットしたことを受けたものだった。当時、中学生だったわたしは、テレビに出演した彼らのプレイを、自分のバンドのメンバーといっしょに見て爆笑した。中学生のわれわれと大差のない、お粗末なプレイだったのである。(中略)
どういうわけか、Tボーンズは声高に非難されることになってしまったが、考えてみると、一九六五年以降にテレビで見た来日バンドは、みな似たり寄ったりだった。すでに述べたアストロノウツはもちろん、サファリーズもいい勝負だったし、ビーチボーイズもひどかった。例外はヴェンチャーズとシャドウズだけだった。(後略)」

次に、Tボーンズの実態と戦略について。
「以上、マーケッツとルーターズという、大ヒットのおかげで比較的名の知られたグループの実態がどうなっていたかを見てきたが、Tボーンズもまた、同様の「手口」によって生み出された「商品」だった。前出のギネス六十年代音楽人名辞典は、Tボーンズについて以下のようにいっている。

このグループは一九六四年に、リバティー・レコードがサーフ・インストゥルメンタルのアルバムを録音するために考え出した。同社はこのグループのプロデューサーとして、以前にもルーターズというスタジオ・バンドによってインストゥルメンタル・ヒットを生み出した実績のあるジョー・サラシーノを雇った。スタジオ・バンドという性質上、Tボーンズのパーソネルはセッションごとに異なる。

 この記述を信じるなら(メンバーがアルバムごとに異なる、というのは正しい。リード・ギターはグレン・キャンベルだったりトミー・テデスコだったりするし、ハル・ブレインもすべてのトラックで叩いているわけではない)、Tボーンズは、サラシーノが考え出したルーターズやマーケッツとは異なり、サーフ・ブームに便乗して一稼ぎするために、リバティー・レコードが生みだしたプロジェクトであり、この分野で実績のあったサラシーノに話をもちこんだことになる。
 会社の思惑ははずれ、最初の三枚のアルバムからはヒットが生まれず、サーフ&ドラッグ・ブームの波には乗りそこなったが、波が退いたあとの一九六五年、サーフィンとはなんの関係もない、アルカ・セルツァーのコマーシャルをカヴァーした<ノー・マター・ホワット・シェイプ(ユア・ストマックス・イン)>が大ヒットすることになった。なにかに便乗しつづければ、いずれは売れることを証明しようとしたのか、翌一九六六年、サラシーノは、こんどはマーケッツの名義で、評判になっていたテレビ・ドラマ『バットマン』の主題歌をカヴァーして、またしてもヒットを手にする。(後略)」
さらにもっと引用すれば当時の音楽界の裏事情などがよくわかって興味深いのだけれど、Tボーンズの記述からは離れてしまうので、この辺にしておきたい。

参考までに、この時代(おもに1960年代)に活躍したスタジオ・ミュージシャンの一覧をこの図書から引用しておこう。たぶんこの3兄弟の演奏は、彼らスタジオ・ミュージシャンの手によるものだ。


スタジオ・ミュージシャン一覧
・ドラムス
ハル・ブレイン(Hal Blaine)、アール・パーマー(Earl Palmer)、ジム・ゴードン(Jim Gordon)、エドワード・ホール(Edward Hall)

・フェンダー・ベース
キャロル・ケイ(Carol Kaye)、レイ・ポールマン(Ray Pohlman)、ジョー・オズボーン(Joe Osborn)、ラリー・ネクテル(Larry Knechtel)、チャック・バーゴーファー

・スタンダップ・ベース
ジミー・ボンド(Jimmy Bond)、チャック・バーゴーファー(Chuck Berghofer)、ライル・リッツ(Lyle Ritz)、レッド・カレンダー(Red Callender)

・ギター
トミー・テデスコ(Tommy Tedesco)、ビリー・ストレンジ(Billy Strange)、グレン・キャンベル(Glen Campbell)、アル・ケイシー(Al Casey)、ジェームズ・バートン(James Burton)、ビル・ピットマン(Bill Pitman)、ハワード・ロバーツ(Howard Roberts)、キャロル・ケイ、レイ・ポールマン

・キーボード
リオン・ラッセル(Leon Russell)、ドン・ランディー(Don Randi)、アル・ディローリー(Al De Lory)、マイク・メルヴォイン(Mike Melvoin)、ラリー・ネクテル

Tボーンズのディスコグラフィ
(シングル盤)
That's Where It's At / Pearlin'(Liberty 55814) Jul.1965
No Matter What Shape (Your Stomach's In) / Feelin' Fine (Liberty 55836)Oct.1965 [全米3位]
Sippin''N Chippin' / Moment Of Softness (Liberty 55867)Mar.1966 [全米62位]
No Matter What Shape (Your Stomach's In)(Liberty LST-4-7439)Mar.1966 [Special Edition]
Wherever You Look, Wherever You Go, Everybody's Doing It / Underwater(Liberty 55885)May 1966
Fare Thee Well / Let's Go Get Stoned(Liberty 55906)Sep.1966
Balboa Blue / Walkin' My Cat Named Dog(Liberty 55925) Oct.1966
The Proper Thing To Do / Tee Hee Hee (My Life Seems So Different Now)(Liberty 55951)Mar.1967
No Matter What Shape (Your Stomach's In) / Sippin' N' Chippin'(United Artists Silver Spotlight Series XW068)1973

(LP盤)
Boss Drag(Liberty LRT-3345)1964.01
1. Rail Vette
2. Little Deuce Coupe
3. Big Daddy Stocker
4. Torque Rod
5. Drag City
6. Scorchin'
7. Shut Down
8. Boss Drag
9. Revvin' Buggy
10. Hey Little Cobra
11. Six Banger

Boss Drag At The Beach (Liberty LRT-3363)1964.05
1. Haulin' Henry
2. Pearlin'
3. White Water Wipeout
4. Hot Rod U.S.A.
5. Chopped Deuce
6. Competition Coupe
7. Takin' Gas
8. Five Over The
9. High Boy Hauler
10. Boss Woody
11. Bucket Seat Beauty
12. Thunder Road

Doin' The Jerk(Liberty LST-7404)1965
1. Bread And Butter
2. How Sweet It Is
3. Feelin' Fine
4. The Jerk
5. Downtown
6. Come On Do The Jerk k
7. Tra La La
8. Sidewalk Jerkin'
9. Beef Jerky
10. Can You Jerk Like Me
11. The IN Crown
12. Soda Jer

No Matter What Shape (Your Stomach's In) (Liberty LRP-3439 LST-7439)1966 [全米75位]
1. No Matter What Shape (Your Stomach's In)
2. Chiquita Banana
3. Fever
4. What's in the Bag, Goose
5. Moment of Softness
6. Let's Hang On
7. Sippin' 'n Chippin'
8. Don't Think Twice, It's All Right
9. Hole in the Wall
10. My Headache's Gone
11. Pizza Parlor
12. Lies

Sippin' 'N Chippin'(Liberty LRP-3446 LST-7446) 1966
1. Walkin' My Cat Named Dog
2. Tippy-Toeing
3. Time Won't Let Me
4. (I Can't Get No) Satisfaction
5. Forty Five (Colt 45 Theme) The T-Bones 0:00
6. Sippin''N Chippin'
7. The Phoenix Love Theme (Senza Fine)
8. What Now My Love (Et Maintenant)
9. Sure Gonna Miss Her
10. Cinnamon Shuffle (Mexican Shuffle)
11. Pretty Face
12. Spanish Flea

Shapin' Things Up (Sunset SUM-1119) 1966
1. The"In"Crowd
2. Shapin' Things Up
3. No Matter
4. Jump Down
5. Thunder Road
6. Downtown
7. Rumblin' Walk
8. Pick A T-Bone
9. Competition Coupe
10. Sound Of Beauty

Everyone's Gone To The Moon (And Other Trips)(Liberty LR(S)T-7471 LRP-3471) 1966
1. Paint It Black
2. Kicks
3. Hold On (I'm Comin')
4. Oh How Happy
5. Fare Thee Well
6. La Do Da Da
7. Let's Go Get Stoned
8. Balboa Blue
9 .Everyone's Gone To The Moon
10. Shangri-La
11. Fly Me To The Moon
12. How High The Moon


“Pearlin'”1964


“ビートでOK(No Matter What Shape (Your Stomach is In))”1965


“真っ赤な太陽(Sippin''n'Chippin')”1966

The Blossoms“Have Faith In Me”1958

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TheBlossoms_clip_image001.jpgクレジットされているグループはブロッサムズ(The Blossoms)ではあるけれど、実質的にはドリーマーズ(The Dreamers)と言えるかもしれない。それは、ディスコグラフィをご覧いただければお分かりのように、メンバー自体はドリーマーズとまったく同じであり、ブロッサムズを有名にしたダーレン・ラヴ(Darlen Love)はまだ参加していなかった。
今でこそダーレン・ラヴは、ロック~ソウル・ミュージックの歴史に多大な影響を与え、2010年にロックの殿堂入りを果たした黒人女性歌手であるが、この時はまだフィル・スペクター(Phil Spector)との知遇を得る前であり、クリスタルズ(The Crystals)やボブ・B・ソックス&ブルージーンズ(Bob B. Soxx & The Blue Jeans)も存在しておらず、また、ラヴ自身ソロ活動もやっていなかった。
今回は、1958年当時のそんなブロッサムズの素晴らしい1曲を紹介してみたい。

ドリーマーズは、ファニタ・バレット(Fanita Barret(James))、グロリア・ジョーンズ(Gloria Jones)、ナネット・ウィリアムズ(Nanette Williams)とアネット・ウィリアムズ(Annette Williams)の姉妹を中心にロサンゼルスで結成された。おもに男性R&B歌手・リチャード・ベリー(Richard Berry)のバックアップ・グループとして活動していたが、ベリー以外にも、エタ・ジェームズ(Etta James)、サム・クック(Sam Cooke)、ジェームズ・ダーレン(James Darren、TVドラマ“タイムトンネル(NHK)”で有名)や、シェリー・フェブレー(Shelley Fabres)のあの大ヒット曲「ジョニー・エンジェル(Johnny Angel, 1962)」のバック・コーラスも受け持った。また、ドリ-マーズ単独でも吹き込んでいた。

blossoms1.jpg一方、ブロッサムズは、ドリーマーズのメンバーが、次々と名義を替えてクレジットしていったグループのひとつであり(他に The Rollettes、The Playgirls、The Co-Eds、The Girlfriendsなど)、ダーレン・ラヴの参加で有名となった。そのダーレン・ラヴはブロッサムズの前にThe Wailers、The Echoesやゴスペル・グループなどに所属していが、ドリーマーズのアネット・ウィリアムズの結婚・出産を機にブロッサムズに参加した。

さて、これらのグループ、ドリーマーズやブロッサムズを解説する上で、どういったアプローチを取ればいいのか(ドリーマーズは、1961年にオリジナル・メンバーで録音しているので、ブロッサムズの前身グループとは言い難い)、つまり、ファニタ・バレット、グロリア・ジョーンズを中心としたドリーマーズの系列でいくつかのグループを紹介していくべきか、あるいは、ダーレン・ラヴの活動を中心に、フィル・スペクターを絡め、クリスタルズの代役などに言及していくべきか…迷うところであるが、以下に示す詳細なディスコグラフィーやアップしたYouTubeに沿って彼らの活躍の足跡を読み解いていただければ幸いに思う。

ディスコグラフィー
 The Dreamers (Richard Berry (lead vocal), Fanita Barret, Gloria Jones, Nanette Williams and Annette Williams)
At Last / Bye Bye(Flair 1052)1955
Daddy Daddy / Baby Darling(Flair 1058)1955
Together / Jelly Roll*(Flair 1075)1955 (*The uncredited Cadets sing on this track and not The Blossoms)
Wait For Me / Good Love (R.P.M.477)1956

 Etta James with The Dreamers (Fanita Barret, Gloria Jones, Nanette Williams and Annette Williams plus Jesse Belvin)
Good Rockin' Daddy / Crazy Feeling (Modern Hollywood 962) 1955

 The Wailers (Darlene Wright (Love)......) 1955

 St. Paul Baptist Church Choir (Cora Martin, Darlene Wright......) 1956

 The Dreamers (Jennell Hawkins, Fanita Barret, Gloria Jones and Annette Williams)
Do Not Forget / Since You've Been Gone(Flip 319)1956

 The Rollettes (Fanita Barret, Gloria Jones and Annette Williams)
Sad Fool / Wham Bam*(Class 201) 1956 (*Flip By The Googie Rene Orchestra)
More Than You Realize / Kiss Me Benny(Class 203)1956

 The Echoes (Darlene Wright, Marzetta Freeman, Ed DeVold, Elmo James and Mosely Carter)
Aye Senorita / My Little Honey (Combo 128)1957
Over The Rainbow / Someone(Speciality 601)1957

 The Blossoms with Eddie Beal's Orchestra (Fanita Barret, Gloria Jones, Nanette Williams and Annette Williams)
Move On / He Promised Me(Capitol 3822)1957
Have Faith In Me / Little Louie(Capitol 3878)1958

 Richard Berry and The Pharaohs
Do I Do / Besame Mucho(Flip 339)1958

 Ed Townsend with The Gerald Wilson Orchestra, The Blossoms (Fanita Barret, Gloria Jones, Nanette Williams and Annette Williams)
For Your Love* / Over And Over Again(Capitol 3926)1958 (*Covered in 1965 by Pearlean Gray on DCP 1125)

 The Blossoms with Eddie Beal's Orchestra (Darlene Wright (lead), Fanita James, Gloria Jones and Nanette Williams)
No Other Love / Baby Daddy-O(Capitol 4072)1958

 The Playgirls (Fanita James, Gloria Jones, Nanette Williams and Darlene Wright (Love))
Hey Sport / Young Love Swings The World(RCA Victor 47-7546)1959
Sugar Beat / Gee, But I'm Lonesome(RCA Victor 47-7719)1959

 Sam Cooke with The Blossoms (Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright (Love))
Everybody Likes To Cha Cha Cha* / Little Things You Do(Keen 3-2018)1959 (Mono)
Everybody Likes To Cha Cha Cha / Little Things You Do(Keen 5-2018)1959 (stereo release scarce)

 James Darren with The 4 Blossoms (members James Darren,....)
Angel Face / I Don't Wanna Lose Ya(Colpix 119)1959

 Hannibal with The Angels (Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright)
Love Is Funny / Please Take A Chance On Me(Pan World 517)1960

 The Co-Eds (Fanita James, Gloria Jones and ?)
Son-In-Law / I'll Wait(Challenge 9109)1961

 The Blossoms (Fanita James, Gloria Jones and ?)
Son-In-Law* / I'll Wait(Challenge 9109)1961(*an "answer song" to the 1961 hit "Mother-In-Law" by Ernie K-Doe on Minit 623)

 The Dreamers (Fanita Barret, Gloria Jones, Nanette Williams and Annette Williams)
Do Not Forget / Since You've Been Gone(Flip 354)1961

 The Blossoms (Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright)
Hard To Get / Write Me A Letter(Challenge 9122)1961
Big Talking Jim / The Search Is Over(Challenge 9138)1962
I Gotta Tell It(Challenge)1962 (unissued at the time the track was released in the U. K.)
I'm In Love / What Makes Love(Okeh 7162)1962
The Gospel Truth(Scepter)1962 (unissued at the time this track was released in the U. K.)

 Shelley Fabres with The Blossoms (Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright)
Johnny Angel / Where's It Gonna Get Me(Colpix 621)1962

 Bobby "Boris" Pickett and the Crypt Kickers with The Blossoms (Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright)
Monster Mash / Monster Mash's Party(Garpax P-1,44167)1962

 The Crystals (Darlene Wright (lead vocals), Fanita James, Edna Wright and Gracia Nitsche)
He's A Rebel* / I Love You Eddie**(Philles 106)1962 (*also recorded in 1963 was an "answer" song to this track titled "He's A Yankee" by The Sweethearts on Brunswick 55240. **also cut as "I Lou Betty" by Terry Day on Columbia 4-427678)

 Bob B. Soxx And The Blue Jeans (Bobby Sheen, Fanita James and Darlene Wright)
Zip-A-Dee Doo-Dah / Flip And Nitty(Philles 107)1962

 Duane Eddy & The Rebelettes (Duane Eddy, Darlene Love, Fanita James and Gracia Nitsche)
(Dance With The) Guitar Man / Stretchin' Out(RCA Victor 47-8087)1962
Boss Guitar / Desert Rat(RCA Victor 47-8131)1963
Lonely Boy, Lonely Guitar / Joshin'(RCA Victor 47-8180)1963
Guitar Child / Jerky Jalopy(RCA Victor 47-8335)1964

 The Crystals (Darlene Love (lead vocals),...)
He's Sure The Boy I Love / Walkin' Along (La-La-La)(Philles 109)1962

 Bob B. Soxx And The Blue Jeans (Bobby Sheen, Gloria Jones and Carolyn Willis)
Why Do Lovers Break Each Other's Hearts / Dr. Kaplan's Office(Philles 110)1962
Not Too Young To Get Married / Annette(Philles 113)1963

Dorothy Berry with The Girlfriends (Nanette Williams, Gloria Jones and Carolyn Willis)
You're So Fine* / Cryin' On My Pillow**(Challenge 59221)1963 (*originally recorded in 1959 by The Falcons on Flick 001. **written by David Gates.)

 Barney Kessel with The Blossoms (Darlene Love, Fanita James and Gracia Nitsche)
Tv Commercials / Diamonds(Reprise 20,152)1963

 The Girlfriends (Nanette Williams, Gloria Jones and Carolyn Willis)
My One And Only Jimmy Boy / For My Sake(Colpix 712)1963

 Al Casey with the K-C-Ettes (Al Casey, Darlene Love, Fanita James and ?)
Surfin' Hootenanny / Easy Pickin'(Stacy 962)1963
Guitars, Guitars, Guitars / Surfin' Blues (Part 1)(Stacy 964)1963
Cookin' / What Are We Gonna Do In '64?(Stacy 971) 1964

 Hal Blaine and The Young Cougars (Hal Blaine, Fanita James, Gloria Jones and Darlene Wright)
(Dance With The) Surfin' Band / The Drummer Plays For Me(RCA Victor 47-8223)1963

 Darlene Love (Darlene Wright)
Let Him Walk Away(?)1963 (demo written by Jackie DeShannon and Jack Nitzsche which was unissued until it was released in the U. K.)
(Today I Met) The Boy I'm Gonna Marry / My Heart Beat A Little Faster(Philles 111)1963
(Today I Met) The Boy I'm Gonna Marry / Playing For Keeps(Philles 111)1963
Wait 'Til My Bobby Gets Home* / Take It From Me(Philles 114)1963(*also recorded in 1965 by The Sisters on Del-Fi 4306)
A Fine Fine Boy / Nino & Sonny (Big Big Trouble)(Philles 117)1963
Christmas (Baby Please Come Home) / Harry And Milt Meet Hal B. (Philles 119)1963
Stumble And Fall / (He's A) Quiet Guy(Philles 123)1964
Christmas (Baby Please Come Home) / X-Mas Blues(Philles 125)1964
Christmas (Baby Please Come Home) / Winter Wonderland(Philles 125x)1965

 Dick Dale and The Del Tones (Dick Dale, Fanita James, Gloria Jones, Darlene Wright,...)
King Of The Surf Guitar / Havah Nagilah(Capitol 4963)1963

Don & Dewey with The Blossoms
Don't Ever Leave Me (Don't Make Me Cry) / Heart Attack(Rush 1003)1963
Don't Ever Leave Me (Don't Make Me Cry) / Heart Attack(Highland 1050)1964

 The Wildcats (Darlene Love, Jean King and Fanita James)
What Are We Going To Do In 1964? / 3625 Groovy Street(Reprise 02531)1964
(以下まだまだ続くが、1965年以降は、私の考えるオールディーズの範疇を超えるので省略する)

The Blossoms“Have Faith In Me”1958


Richard Berry & The Dreamers“Together”1955


The Rollettes“Sad Fool”1956


The Blossoms“Write Me A Letter”1961


Shelley Fabres“Johnny Angel”1962(バックコーラス:The Blossoms)


The Crystals“He's A Rebel”1962


The Girlfriends “My One And Only Jimmy Boy”1963


Darlene Love“(Today I Met) The Boy I'm Gonna Marry”1963

The Girlfriends“Jackie”1961

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Vinyl-records The Girlfriends.jpg今回は短く、さらっと。
前回ブロッサムズ(The Blossams)の記事中、関連グループとしてガールフレンズ(The Girlfriends)のディスコグラフィー、YouTubeを引用したが、もうひと組ガールフレンズがいたことに気づいた。(いや、まだ同名異グループはいるのかもしれないが…)
こちらの方は、ロサンゼルス出身の白人系ガール・グループで、ブライアン・ハイランド(Brian Hyland)が世界的に大ヒットさせた「ビキニ・スタイルのお嬢さん(Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini, 1960)」のアンサー・ソングを歌ったことで、オールディーズ・ファンにはそこそこ知られているようだ。
今回紹介するのは、この曲のB面で“Jackie, 1961”という素敵な曲。曲調といい、リードヴォーカルの声といい、オールディーズぽさ満開の曲。ただし、何回も聴いていると飽きてしまい、とたんにつまらなくもなる。オールディーズ曲の宿命だ。
なお、このグループについては一切不明で写真もなし、シングル盤を1枚しか出していないようだ。

ディスコグラフィー(シングル盤)
Four Shy Girls / Jackie (Pioneer 71833)1961

The Girlfriends“Jackie”1961


The Girlfriends“Four Shy Girls”1961


Brian Hyland“Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini”1960

Dodie Stevens“Turn Around”1961

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Dodie Stevens 4.jpgどういう経緯で入手したのかわからないのだけれど、高校生の頃、この曲のシングル盤が家にあった。艶(あで)やかだけどちょっと切ない歌い方はけっこう気に入っていて、しつこく何度も何度も聴いていたことを憶えている。
この曲とは、ドディ・スティーヴンス(Dodie Stevens)の“Turn Around, 1961”(同名異曲がたくさんありそう)である。今回は、あまりヒットしなかった曲もあわせて何曲か紹介してみよう。

ドディ・スティーヴンスと言えば、何といっても“ピンク・シューレイス(Pink Shoe Laces, 1959)”が有名。全米3位を記録しており、日本でも大ヒットした。当時小学生だった私は、喋るように歌うこの曲の雰囲気をかすかに憶えている。テレビの「ザ・ヒットパレード」あたりを観て知っていたのかもしれない。

Dodie Stevens 6.pngドディ・スティーヴンスについて簡単に触れておこう。
彼女は本名をGeraldine Ann Pasqualeと言い、1946年2月17日にイリノイ州シカゴで生まれた。3歳のとき、カリフォルニア州サン・ガブリエル・ヴァレー(San Gabriel Valley)に移り、歌と踊りのレッスンを始めた。
1954年、8歳で“Merry-Go Merry-Go Round”という曲をGold Star Recordsで録音し、地元のテレビ・ショーで披露した。その縁でCrystalette Recordsの社長、カール・バーンズ(Carl Burns)と出会い、バーンズは彼女に「ドディ・スティーヴンス」という名前を与え「ピンク・シューレイス“Pink Shoe Laces”」を歌わせた。しかし彼女は名前も曲も気に入らなかった。
ところが、この「ピンク・シューレイス」は全米ヒットチャート3位という大ヒットを記録、100万枚以上売上げ、ゴールド・ディスクに輝いた。彼女はまだ13歳になったばかりだった。
この成功により、1960年、彼女は大手のドット・レコード(Dot Records)と正式契約を結び、“No”(1960年9月全米73位)や、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)の大ヒット曲「今夜はひとりかい“Are You Lonesome Tonight? 1961”」のアンサー・ソング“Yes I'm Lonesome Tonight”(1961年2月全米60位)などのヒットを放った。しかし、その後いくつかのシングル盤をリリースしたがヒットには恵まれなかった。
一方、フィルム関連では、“Hound-Dog Man(1959)”、“Saiyu-Ki(Alakazam The Great)(アニメ吹替、1961)”、“Convicts Four(1962)“に出演した。
16歳のとき(1963年)、結婚のため芸能界を引退、ミズーリ州の農場で生活を始めた。ステファニー(Stephanie)という女の子を授かったが、結婚生活は破綻、1966年に歌手として復帰した。
1972年にセルジオ・メンデス&ブラジル'77(Sergio Mendes and Brasil'77)と共に公演したり、バックアップ・シンガーとして多くのツアーに参加した。
最近では、娘のステファニーとともに公演したり、オールディーズ・コンサートなどで活躍しているようだ。

この記事を書きながら彼女の曲を聴いていてちょっと疑問というか、謎にぶつかった。それは1963年12月にリリースされた“Sailor Boy”という曲で、日本で大ヒットした、あの懐かしいシェリー・シスターズ(The Sherry Sisters)の「セーラー・ボーイ“Sailor Boy, 1964”」と同じ曲。
ちょっと調べてみるとシェリー・シスターズの方は1964年6月にリリースされているから、ドディの方が6ヶ月くらい早い。ま、レコード会社の発売時期にも戦略などあろうからなんとも言えないが、もしかしたら、オリジナルはドディ・スティーヴンスじゃないだろうかと思った次第。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

ディスコグラフィー
(シングル盤)
Pink Shoe Laces(全米3位) / Coming Of Age(Crystalette USA 724) Dec 1958
The Five Pennies(全米89位) / Yes-Sir-Ee(全米79位)(Crystalette USA 728)May 1959
Miss Lonely Hearts(全米111位) / Poor Butterfly(Dot USA 45-15975)Jul 1959
Steady Eddy / Mairzy Doats(Dot USA 45-16002)Oct 1959
Amigo's Guitar / Candy Store Blues(Dot USA 45-16067)Mar 1960
No(全米73位) / A Tisket A Tasket(Dot USA 45-16103)Jun 1960
Am I Too Young / So Lets Dance(Dot USA 45-16139)Sep 1960
Merry Christmas Baby / Jingle Bells(Dot USA 45-16166)Nov 1960
Yes, I'm Lonesome Tonight(全米60位) / Too Young(Dot USA 45-16167)Nov 1960
Turn Around / I Fall To Pieces(Dot USA 45-16200)Mar 1961
Let Me Tell You 'Bout Johnny / You Are The Only One(Dot USA 45-16259)Aug 1961
(The Story Of) The In Between Years / Trade Winds, Trade Winds(Dot USA 45-16279)Oct 1961
I Cried / Dancing On The Ceiling(Dot USA 45-16339)Feb 1962
Pink Shoe Laces / Yes-Sir-Ee(Dot USA 45-16389)Aug 1962
Don't Send Me Roses / Daddy Couldn't Get Me One Of Those(Imperial USA 5908)Jan 1963
Hello Stranger / For A Little While(Imperial USA 5930)Mar 1963
I Wore Out Our Record / You Don't Have To Prove A Thing To Me(Dolton USA 83)Sep 1963
Sailor Boy / Does Goodnight Mean Goodbye(Dolton USA 88)Dec 1963
Pink Shoe Laces / Yes-Sir-Ee(Dot USA 45-146)1965

(アルバム)
Dodie Stevens(Dot USA DLP 3212,DLP 25212)1960
Over the Rainbow(Dot USA DLP 3323)1960
Pink Shoelaces(Dot USA DLP 3371)1961

Turn Around, 1961


Steady Eddy, 1959


Miss Lonely Hearts, 1959


Let Me Tell You About Johnny, 1961


Sailor Boy, 1964


Pink Shoe Laces, 1959
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